山種美術館は、昭和41年(1966年)に東京・日本橋兜町において、日本初の日本画専門美術館として開館しました。本年7月7日には開館60周年を迎えることを記念し、同館と縁の深い国民的画家・川合玉堂の画業を振り返る開館60周年記念特別展1「川合玉堂 -なつかしい日本の情景-」が、2026年5月16日から7月26日まで開催中です。

会場風景 ※内覧会にて撮影

会場風景 ※内覧会にて撮影
本展の関連イベントとして、東京大学名誉教授であり山種美術館の理事も務める河野元昭氏による口演会「川合玉堂そのなつかしさ 饒舌館長ベストテン」が5月30日に開催されました。

講演会の様子
自らを「饒舌館長」と称し、365日欠かさずブログで美術の魅力を発信し続けている河野氏。江戸絵画の専門家でありながら、近代日本画の分野において川合玉堂を極めて特別な存在として捉えてきました。
この記事では、河野氏が選んだマイベストテンの作品を紹介しながら、明治から昭和にかけての玉堂の足跡を年代順にたどります。(※ベストテンは順不同)
【1】15歳の少年の鋭い観察眼と卓越した描写力 《写生画巻》《写生帖》1888-94(明治 21-27)年頃
河野氏はまず、少年時代の玉堂がいかに凄まじい才能を秘めていたかに言及します。
円山派や四条派の影響を受け、写実的な描写を重んじる京都の望月玉泉に師事した玉堂は、師の教えに忠実に従い、ひたすらに事物を客観的に観察し写生を行いました。河野氏は「15歳の少年がこれほどの写生をやってのけるとは驚き」と語り、若き日から培われた確かな技術が玉堂芸術の揺るぎない土台となっていることを指摘しました。


(左から)川合玉堂《写生画巻》 1888(明治21)年 玉堂美術館、川合玉堂《写生帖》 1891-94(明治24-27)年頃 玉堂美術館 ※内覧会にて撮影
【2】キャリアの転機となった展覧会出品作《鵜飼》1895(明治28)年
第4回内国勧業博覧会に出品された《鵜飼》は、玉堂のキャリアにおいて決定的な転機となった時期の作品です。
玉堂はこの展覧会で橋本雅邦の作品に出会い、強い衝撃を受けました。河野氏は、雅邦の作品に潜むロマン主義的要素を玉堂が敏感に感じ取り、「これからの近代の日本絵画はこれでなくてはならない」と確信して東京へ移住したエピソードを紹介します。
さらに「ここには日本人の自然(ネイチャー)と生活という2つの要素が調和した世界が描かれている」と解説。この「自然と生活の融合(ハーモニー)」こそが、玉堂が生涯をかけて追い求め続けた世界の原点であると語りました。

さらに「ここには日本人の自然(ネイチャー)と生活という2つの要素が調和した世界が描かれている」と解説。この「自然と生活の融合(ハーモニー)」こそが、玉堂が生涯をかけて追い求め続けた世界の原点であると語りました。

川合玉堂《鵜飼》 1895(明治28)年 絹本・彩色 山種美術館
【3】時間をかけて「醸す」風景画の極意《行く春》(小下図) 1916(大正5)年
《行く春》は、近代日本画としては早い時期に重要文化財に指定された玉堂の代表作の一つです。
本画は東京国立近代美術館が所蔵していますが、本展ではその小下図が展示されています。
埼玉県の長瀞渓谷を取材したこの作品は、実際の景色をそのまま写すのではなく、切り立った岩壁をより険しく強調して描いています。
河野氏は、玉堂が「写生したものをそのまま絵にしてはならない。不変化するまでには時というものが必要だ」と述べていることを紹介し、写生という素材が時間をかけて本画へと昇華されるまでの「醸す」時間の重要性を説きました。
また、作品の背景に中国北宋の文人・蘇軾による『前赤壁賦』の古典的イメージが伏流している可能性も指摘し、玉堂の高い教養が作品を単なる風景画以上のものに高めていると語りました。

川合玉堂《行く春 (小下図)》 1916(大正5)年 玉堂美術館 ※内覧会にて撮影
【4】琳派の美学と文学的教養が結実した《紅白梅》1919(大正8)年頃
《紅白梅》は、尾形光琳の国宝《紅白梅図屏風》から直接的なインスピレーションを受けたと考えられる屏風形式の傑作です。
河野氏は、光琳を意識しつつもそれを近代の感覚で乗り越えようとした玉堂の意図を読み解きました。
にじみやたらしこみ(色を塗って乾かないうちに別の色を落とし込む技法)といった琳派特有の手法を駆使しつつ、玉堂ならではの洗練された独自の美を構築している点が最大の魅力です。
さらに、中国北宋の文人・林和靖の梅の詩を深く理解し、視覚的に「梅の香り」までをも表現しようとした可能性についても言及しました。

川合玉堂《紅白梅》 1919(大正 8)年頃 紙本金地・彩色 玉堂美術館
【5】大嘗祭の奉納画に描かれた近代の風景《昭和度 悠紀地方風俗歌屏風》(小下図)1928(昭和3)年
《昭和度 悠紀地方風俗歌屛風》は、昭和3年の昭和天皇即位に伴う大嘗祭のために描かれた屏風です。本展にはその小下図が展示されています。
「悠紀の部」を担当した玉堂は、近江の名所である瀬田の唐橋や比良の雪景色を、平安時代以来の「名所絵」や「四季絵」の伝統に則って描き出しました。
伝統的な形式を完璧に守りながらも、画面の端(瀬田の唐橋のあたり)をよく見ると、自転車に乗る人物が小さく描かれているのがわかります。河野⽒は、古典を重んじつつも、「今」を生きる人々の息遣いや近代的な要素をさりげなく取り入れた玉堂の姿勢が表れていると称賛しました。

川合玉堂《昭和度 悠紀地方風俗歌 屛風 (小下図)》 1928(昭和3)年 玉堂美術館 ※内覧会にて撮影
【6】ドローンなき時代に想像力で描いた《春風春水》 1940(昭和15)年
玉堂の作品には、高い場所から見下ろす「俯瞰」や、鳥のように上空から捉える「鳥瞰」の視点が多く採用されています。《春風春水》はその代表例で、河野氏はこれを「ドローンのない時代に豊かなイマジネーションで描き出した創造的な視点」と高く評価しました。
さらに、西洋的な一点透視図法とは異なる、空を自由に飛び回るような空間把握は《洛中洛外図屏風》などにも通じること、またここで描かれている人間と自然が調和した穏やかな世界こそ、玉堂が生涯追求し続けた理想の日本の姿であると指摘しました。

【7】風と光を捉えた印象主義적傑作《山雨一過》1943(昭和18)年
玉堂が70歳の時に描いた《山雨一過》について、河野氏は「これこそ真の風景画」と絶賛します。
元となった写生帖は昭和11年のもので、完成までに実に7年という歳月が費やされました。
河野氏は、この間に写生が「醸成」され、光と風が織りなす印象主義的な世界へと昇華されたと指摘します。また写生にはなかった人間の姿を加えることで、玉堂の生涯追い求めた「自然と人間の融合」という主題が表現されている点も見どころだと語りました。
河野氏は、この間に写生が「醸成」され、光と風が織りなす印象主義的な世界へと昇華されたと指摘します。また写生にはなかった人間の姿を加えることで、玉堂の生涯追い求めた「自然と人間の融合」という主題が表現されている点も見どころだと語りました。

川合玉堂《山雨一過》 1943(昭和18)年 絹本・彩色 山種美術館
【8】戦火の中で描かれた日本人の理想郷《早乙女》 1945(昭和20)年
《早乙女》は、終戦の年である昭和20年、玉堂が奥多摩へ疎開していた時期に描かれました。
当時の日本は激しい戦火にさらされ、食料も乏しく極めて過酷な状況にありました。しかし画面には、平和で美しい田植えの風景が、琳派のたらしこみを駆使して瑞々しく穏やかに描かれています。
この光景を、河野氏は「玉堂が夢見た日本という稲作国家の理想郷(シャングリラ)」と推察します。敗戦を目前にした困難な状況下で、あえて日本の美しさの原点を描き留めようとした祈りにも似た心情が込められているのではないかと語りました。

【9】新しい日本の夜明けを仰ぎ見る《朝晴》 1946(昭和21)年
《朝晴》は、昭和21年の戦後第1回日展に出品された作品です。
河野氏は、これまでの玉堂作品に多かった俯瞰の視点から一転し、道を見上げるような「仰視」の視点が取られていることに注目しました。
河野氏は、これまでの玉堂作品に多かった俯瞰の視点から一転し、道を見上げるような「仰視」の視点が取られていることに注目しました。
画面に描かれた細く険しい道は、終戦直後の日本が置かれた困難な道のりを象徴しているかのようです。
しかし、その先には白く輝く峰がそびえています。河野氏はそこに「困難の先にある希望」を⾒出そうとした⽟堂の不屈の決意を読み解きました。

川合玉堂《朝晴》 1946(昭和21)年 絹本・彩色 山種美術館
【10】雪を花として愛でる美意識《湖畔暮雪》1950(昭和25)年頃
《湖畔暮雪》は、玉堂がこよなく愛した雪景色を描いた円熟期の作品です。河野⽒は雪を災害として捉えるのではなく、⽣活に変化と美しさを与える「花」として愛でる感性は「京都的な⽂化」であると述べ、玉堂の中に生涯流れていた京都的な美意識を指摘しました。

川合玉堂《湖畔暮雪》 1950(昭和25)年頃 山種美術館 ※内覧会にて撮影
【番外編】巨匠が愛した《猫》 1951(昭和26)年頃
玉堂は大の猫好きとして知られており、本作も自身の飼い猫を描いたものと考えられています。
河野氏は、猫を単なるペットではなく、生活をともにするかけがえのない存在として描く玉堂の姿勢に、動物を同じ生命として尊重する日本人らしい温かなまなざしが表れていると語りました。
河野氏は、猫を単なるペットではなく、生活をともにするかけがえのない存在として描く玉堂の姿勢に、動物を同じ生命として尊重する日本人らしい温かなまなざしが表れていると語りました。

川合玉堂《猫》 1951(昭和26)年頃 山種美術館 ※内覧会にて撮影
専門的な美術史の知見を、ユーモアを交えた親しみやすい語り口で紹介する口演は、終始笑いに包まれた楽しい時間となりました。
そこから見えてきたのは、玉堂の豊かな教養と芸術への真摯な姿勢、そして人々や生き物に向けられた温かなまなざしです。
開催中の展覧会では、その歩みをたどりながら、玉堂が捉えた“なつかしい日本”の風景に出会うことができます。会期は7月26日まで。本展の詳細は以下をご覧ください。
山種美術館で出会う、なつかしい日本の風景 開館60周年記念特別展1「川合玉堂 ―なつかしい日本の情景―」取材レポート▼
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