平塚市美術館では、2025年11月30日(日)まで、企画展「没後35年 北澤映月展」が開催されています。
日本画家・北澤映月(1907–1990)の没後35年を記念する本展は、初期から晩年までの代表作をはじめ、下図や写生、書簡など約150点を紹介するものです。
個展としては1992年の追悼展以来33年ぶり、神奈川県内では初の本格的な回顧展となります。
個展としては1992年の追悼展以来33年ぶり、神奈川県内では初の本格的な回顧展となります。

会場風景
第1章「模索」
最初の章では、映月の画家として最初の約25年間、画業の「模索」の時代をたどります。
幼い頃から絵を好み、16歳で上村松園に入門した映月は、「櫻園(おうえん)」の号で修練を積みました。本展では、その櫻園時代の作品《少女》と《若衆》が初公開され、彼女の画業の原点に触れることができます。

(左から)《少女》、《若衆》 いずれも大正末~昭和初期 個人蔵
その後、土田麦僊に師事し「映月」の号を授かってからは、物の本質を深く見つめる写生の重要性を学び、その才能を開花させていきます。
その成果が結実したのが、昭和11年(1936)に改組帝展に初入選した《祇園会》です。京都の夏の風物詩である祇園祭の時期の、明治時代の商家の母子をモチーフにしたこの作品は、風俗を丁寧に考証し、細くやわらかな線描と抑制の効いた色彩によって写実性と装飾性を見事に調和させています。

その成果が結実したのが、昭和11年(1936)に改組帝展に初入選した《祇園会》です。京都の夏の風物詩である祇園祭の時期の、明治時代の商家の母子をモチーフにしたこの作品は、風俗を丁寧に考証し、細くやわらかな線描と抑制の効いた色彩によって写実性と装飾性を見事に調和させています。

《祇園会》1936年 京都国立近代美術館蔵
《待月》は、長く行方が分からず、本展で初公開となる作品です。月の出を待つ女性たちの憂いを帯びた風情が、すっきりとした線描と抑えた色彩の中に引き立っています。

(左から) 《赤い扇》1942年 東京国立近代美術館蔵、 《待月》1939年頃 個人蔵(平塚市美術館寄託)
美しい着物を手入れする女性たちを描いた《明裳》では、映月自身が「最も苦心した」と語る模様と色の諧調へのこだわりが見られます。
そして《好日》では、絵筆をとる画家自身と、傍らで絵具の準備をする老母の姿が、明快ですっきりした画面構成の中に描き出されています。
制作へ向かう画家の一瞬の緊張感が伝わるこの作品は、麦僊の影響を受けながらも、院展の新しい様式を学び、自身の画風を模索していく映月の姿を映し出しています。

(右から) 《好日》、 《好日大下図》いずれも1942年 平塚市美術館蔵
第2章「挑戦」
戦後、映月は西洋絵画の手法を取り入れ、同時代を生きる女性たちを積極的にモチーフとして取り上げるようになります。
《二面像》では、現代女性と古代女性を対比させ、従来の線描ではなく、形態をデフォルメし、色面と筆触を活かした表現に挑んでいます。
そして《婦女曼荼羅》では、さらに色面を主体とした探求が深まっていったことがわかります。

(左から)《二面像》1951年 京都府蔵(京都文化博物館管理)、《婦女曼荼羅》1955年 株式会社祇園会館蔵
今回初公開となる《羅(うすもの)》は、その挑戦がより明確に現れた作品です。黒い薄衣をまとった女性と白い衣の女性が描かれ、黒と白という色彩の対比だけでなく、線と色面を巧みに使い分けることで、独自の造形表現を生み出しています。


《羅(うすもの)》1957年頃 東京都現代美術館蔵
1960年、53歳になった映月は、住み慣れた京都を離れ、東京に移住するという大きな決断をします。
京都を離れたことで改めて故郷を見つめ直した映月は、舞妓を新たな視点で描くようになります。
会場では、造形的な美を意識した作品の下図や、《花と舞妓》のように咲き誇る紅白梅の美しさを楽しむ舞妓など、多彩な表現が見られます。

第2章「挑戦」展示風景
会場では、造形的な美を意識した作品の下図や、《花と舞妓》のように咲き誇る紅白梅の美しさを楽しむ舞妓など、多彩な表現が見られます。

第2章「挑戦」展示風景
1965年の《三人のモデル》は、裸婦を中心に、舞妓と大原女を左右に配した不思議な構成の作品です。健康的で素朴な大原女、凛とした表情の洗練された舞妓、現代的な感性を持つ裸婦と、文化的、社会的背景も含めた三者三様のイメージを描き分けています 。
女優・山本安英をモデルにした《或る日の安英さん》は、単なる肖像画ではなく、安英が演じた「夕鶴」のヒロイン・つうの悲哀を投影した作品です。つうの複雑な心情が、淡く複雑な色彩で彩られた背景と一体となり、観る者の心に深く迫ります。
この作品を契機に、映月は歴史や文学の著名な登場人物をモチーフに、女性の内面を深く掘り下げるという、独自の表現手法を見出したのです。

この作品を契機に、映月は歴史や文学の著名な登場人物をモチーフに、女性の内面を深く掘り下げるという、独自の表現手法を見出したのです。

《或る日の安英さん》1967年 京都市美術館蔵
第3章「成熟」
1970年代に入ると、映月は歴史や文学の中に登場する女性たちに注目し始めます。
得意の時代考証と独自の女性観が融合した、華麗かつ情感豊かな女性像が次々と生み出されました。
《女人卍》は、この時期の代表作の一つです。
淀君を中心に、細川ガラシャ、樋口一葉など5人の歴史上の女性が描かれ、髪型や衣装、顔の表情や小道具によって、それぞれの内面性までも見事に描き分けています。
《女人卍》 1972年 平塚市美術館蔵
《江戸と上方》では、江戸と上方の文化的な差異を二人の女性に託し、その気質の違いを表情や姿、背景のモチーフで象徴的に描き出しています。
その下絵も展示され、人物の配置や持ち物をさまざまに検討した、画家の思索の跡をたどることができます。

《江戸と上方》1975年 山中氏蔵
1978年、映月は不慮の事故で骨折し、約1年の療養生活を余儀なくされます。外出を控えるようになったこの時期以降、庭の草花に心を動かされ、四季折々の花と女性を組み合わせた作品が増えていきます。
晩年の作品では、女性の髪の色が明るさを増し、背景の色彩もより鮮やかになっていきます。家にこもりがちになった映月が描いたのは、感情の大きな起伏ではなく、ささやかな日常の中で自然とともに生きる女性たちの、細やかな心のひだでした。
女性というモチーフを現代的な感覚で描き出そうとした若き映月の思いは、晩年に大きく実ったといえるでしょう。

(中央ガラスケース内)映月が実際に使用した印章や絵具などの展示
初期の模索から戦後の挑戦、そして歴史や花々と響き合う晩年の境地まで、映月の画業は豊かに成熟していきました。本展は、その変遷を丁寧に追うことができる、またとない機会です。
生涯を通じて、色彩豊かで華麗な女性像を描き続けた画家の、真摯な歩みをぜひ会場でご覧ください。
※文中で紹介した作品は、すべて北澤映月作
生涯を通じて、色彩豊かで華麗な女性像を描き続けた画家の、真摯な歩みをぜひ会場でご覧ください。
※文中で紹介した作品は、すべて北澤映月作
【開催概要】
展覧会名:没後35年 北澤映月展
会期:2025年10月11日(土)~11月30日(日)※会期中、一部作品の展示替えあり
会場:平塚市美術館 展示室Ⅱ
開館時間:9:30~17:00(入場は16:30まで)
休館日:月曜日(ただし11/3、11/24は開館)、11/4、11/25
観覧料:一般900円、高大生500円、中学生以下無料
平塚市美術館公式サイト:https://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/


