「歩く」という行為をテーマにしたユニークな企画展「おさんぽ展 空也上人から谷口ジローまで」が、滋賀県立美術館にて、2025年11月16日(日)まで開催されています。

この展覧会では、目的を持たないそぞろ歩きから、信仰や思索のための歩みまで、古今東西のさまざまな「歩く」姿を表現した作品が一堂に会します。
重要文化財2件を含む74点の作品を通して、歩くことをめぐる表現の広がりをたどります(会期中、一部作品の展示替えあり)。
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緑豊かな美術館で、アートさんぽへ出発
会場である滋賀県立美術館は、広大なびわこ文化公園の丘陵地に位置し、豊かな自然に囲まれています。
館内へ続く緩やかなスロープは、まるでこれから始まる物語への序章のよう。起伏に富んだ地形は、琵琶湖から山々へと連なる湖国の風景を体現しており、鑑賞前から散歩気分を高めてくれます。
それでは、この恵まれた環境の中で、「アートさんぽ」に出かけましょう。
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美術館周辺の風景

「おさんぽ展」のはじまり
展覧会は、第1章「どちらまで?」から始まります。
歴史画で知られる菊池契月が描いた《散策》は、「おさんぽ展」が生まれるきっかけとなった一枚です。
新緑の森を歩く少女と2匹の犬の姿は若々しく爽やかな魅力にあふれています。「散歩」という身近なテーマでこの作品を紹介したいという美術館の思いが、本展の出発点となりました。
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《散策》菊池契月 1934年 京都市美術館 前期展示

ほかにも、何気ない散歩の光景を描いた川瀬巴水の木版画、散歩中に知り合いと話し込んでしまう「あるある」な光景を捉えた小倉遊亀の《春日》など、どこか覚えのある風景が広がります。
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《春日》小倉遊亀 1942年 滋賀県立美術館 通期展示

野に出る喜び
第2章「野に出る」では、「散歩」という言葉の起源に迫ります。

日本でこの言葉が初めて使われたのは、鎌倉時代から南北朝時代の禅僧、虎関師錬(こかんしれん)の漢詩文集『濟北集』とされています。
彼は詩の中で、野辺をそぞろ歩き、春の訪れに出会う喜びを詠いました。そうした散歩の姿をイメージさせるのが、伝馬遠《高士探梅図》や浦上玉堂《幽渓散歩図》です。これらの作品には、俗世を離れて山河を歩み、自然と一体となる東洋的な散歩の理想像が描かれています。
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《高士探梅図》伝 馬遠 14世紀 岡山県立美術館 前期展示

また、春の訪れに心躍らせ、若菜を摘みながら散策する少女たちを描いた作品や、川辺や公園に集う人々の開放感あふれる姿を描いた作品からは、季節を愛で、自然と一体となる散歩の楽しさ伝わってきます。
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第2章「野に出る」より、花摘みを楽しむ少女たちを描いた作品

街へ出かける楽しみ
第3章「街へ出かける」では、舞台は都市へと移ります。
19世紀後半のヨーロッパで遊歩が流行したように、近代都市では街を歩くこと自体が楽しみとなりました。カミーユ・ピサロの《ロンドン、ハイドパーク》やモーリス・ユトリロの《クレミューの教会》には、公園や街角を思い思いに散策する人々の姿が描かれ、それが日常の風景であったことがわかります。
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(左)《ロンドン ハイドパーク》カミーユ・ピサロ 1890年 東京富士美術館 前期展示
(右)《クレミューの教会》モーリス・ユトリロ 1928年 田中産業株式会社(小林古径記念美術館寄託) 通期展示

こうした光景はヨーロッパに留学した日本の画家たちにも影響を与えました。浅井忠はパリの街を歩く人々の様子をスケッチに残し、佐伯祐三はパリの裏町の何気ない風景を繰り返し描いています。
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第3章「街へ出かける」より、佐伯祐三の作品 いずれも通期展示

関東大震災からの復興を遂げた東京を描く版画集《新東京百景》では、華やかな都会の散歩の様子が生き生きと表現されています。
一方、今和次郎が記録した公園の人々の姿は、都市に潜む社会の現実を映し出し、散歩の楽しさだけでなく、散歩の持つ複雑さ側面を教えてくれます。
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川上澄生ほか《新東京百景》1929年 東京都現代美術館 通期展示

歩くという祈りの姿
「歩く」行為は、楽しみとしての「散歩」だけではありません。第4章「歩く人たち」では、信仰や修行、思索といった、より深い目的を持った「歩く」姿が紹介されています。こうした人々の姿は、歩くことが創造的な営みであることを改めて教えてくれます。

《空也上人立像》は、人々の救済を祈り、念仏を広めて諸国を歩いた「遊行」の姿を象徴しています。足元に目をやると、左足のかかとがわずかに浮き、次の一歩を踏み出そうとする瞬間が見事に表現されています。
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【重要文化財】《空也上人立像》作者不詳 14世紀 滋賀・荘厳寺(滋賀県) 通期展示

また、武士の身分を捨てて諸国を行脚した西行の生涯を描いた《西行物語絵詞》は、壮大なロードムービーのように西行の旅路を描き出します。
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【重要文化財】《西行物語絵詞》作者不詳 13世紀 国(文化庁保管) 前期展示

与謝蕪村《松尾芭蕉経行像》(18世紀、逸翁美術館、通期展示)は、一歩一歩をゆっくりと踏みしめ、精神を整える禅の修行「経行」に取り組む姿を描いた作品です。

生き物たちの足跡
第5章「動物たちも行く」は、本展の中でも特にユニークで楽しい章です。

本展を担当した、滋賀県立美術館の小井川主任学芸員(以下、「小井川学芸員」)がぜひ見てほしいと語るのが、うらあやかの映像作品です。作家がベトナムの街で1匹の犬を、邪魔しないように距離を保ちながら追いかけていく映像で、自由気ままに動く犬と、それに翻弄されながらも行き先を犬に委ねる作家の関係性が、「歩く主体は誰か?」という問いを投げかけます。
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《〈欲望〉について(生きることについての憶測:ホイアン(ベトナム)の犬の場合)》 うらあやか、2019年、作家蔵、通期展示

また、小林古径の作品では、犬ではなくヤギと散歩する少女が登場します。あちこちに行ってしまいそうなヤギたちをコントロールしようと奮闘する様子が楽しい作品です。
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《丘》小林古径 1951年 小林古径記念美術館 通期展示

さらに、鵜飼結一朗の《妖怪シリーズ》では、妖怪や動物たちが入り混じって練り歩く行列が描かれ、ひしめき合って歩く濃密なエネルギーが画面から感じられます。
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《妖怪(No.31~33)》鵜飼結一朗 2021年 滋賀県立美術館 通期展示

散歩で出会う創造の源泉
散歩は芸術家にとってインスピレーションの源泉でもありました。
鎌倉の海辺を散策し、身近な風景を素早いタッチで描いた黒田清輝、暮らしの拠点であった東京・清瀬の何気ない日常を細やかに描いた漫画家の谷口ジロー。彼らの作品は、見慣れた場所にも新たな発見があるという、散歩の醍醐味を気づかせてくれます。
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《『歩くひと』第4話「木のぼり」原画》谷口ジロー 1990年 一般財団法人パピエ 通期展示

そして、この章でぜひ体験してほしいのが、手で触れることができる光島貴之の作品です。京都の街なかを、形状や凹凸、素材の質感、そして音で表現したもので、鑑賞者は視覚だけでなく触覚で風景を感じることができます。
会場に設置された「ししおどし」を実際に鳴らしてみると、思った以上に響く音に驚くかもしれません。その驚きや、竹に触れた時の感覚もまた、作家が風景を捉える際に感じた何かであり、作品を味わう重要な要素なのです。
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《京都まち歩き─ 学生時代の左京区》光島貴之 2025年 作家蔵 通期展示

明日へ続く一歩
最後の第7章「明日も、どこかへ」は、「散歩」を創造的な自由や未来への希望のメタファーとして捉え直します。主義や現実の制約から解き放たれ、軽やかに次の一歩を踏み出すような作品が集められています。

東郷青児は、自身の作品《超現実派の散歩》を「散歩のつもりの試運転」と語りました。それは、明確な目的や主張に縛られず、そぞろ歩くように自由な試行錯誤の中から新しい表現を見つけ出す創造の姿勢を示しています。夢の中をステップするような軽やかさは、散歩の軽快さに通じます。
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《超現実派の散歩》東郷青児 1929年 SOMPO美術館 通期展示

また、藤田龍児の《啓蟄(けいちつ)》では、病を乗り越えて描かれた生命力あふれる春の野原が広がり、そこに描かれた散歩する人と犬の姿は、未来への希望を感じさせます。
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《啓蟄》藤田龍児 1986年 株式会社星野画廊 通期展示

小倉遊亀コレクションと名品選も見逃せない
本展鑑賞後は、同時開催のコレクション展にも足を運んでみましょう。
「小倉遊亀コーナー」では、滋賀県大津市出身の日本画家・小倉遊亀の作品が、本人や遺族からの寄贈を中心に紹介されています。個人利用に限り写真撮影が可能で、SNSへの投稿もできます。お気に入りの一枚をぜひ写真に収めてみてください。
さらに、曽我蕭白、横山大観、安田靫彦など、美術館が誇る名品を紹介する「名品選」も開催されています。
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《磨針峠》小倉遊亀 1947年 作者寄贈(1980年度) 

館内では、作品世界を遊びながら体験し、散歩の楽しさを実感できる「すごろく」も用意されています。
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作品に描かれた多様な「歩く」姿は、気の向くままに歩くことで出会える気づきや楽しさを思い起こさせてくれます。
会場を後にする時、「もう少し歩いてみようかな」と感じられる、そんな豊かな時間を本展で過ごしてみてはいかがでしょうか。

【開催概要】
展覧会名: 企画展「おさんぽ展 空也上人から谷口ジローまで」
会期: 2025年9月20日(土)~11月16日(日)※会期中、一部作品の展示替えあり
会場: 滋賀県立美術館 展示室3
開館時間: 9:30~17:00(入場は16:30まで)
休館日: 毎週月曜日(ただし祝日の場合には開館し、翌日火曜日休館)
観覧料:
一般: 1,200円(1,000円)
高校生・大学生: 800円(600円)
小学生・中学生: 600円(450円)
※( )内は20名以上の団体料金
※未就学児は無料
公式ホームページ:https://www.shigamuseum.jp/