東京都美術館にて、「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」が2025年12月21日まで開催されています。
チラシ

世界で広く知られ、深く愛されている画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。
しかし、彼が画家として活動したのは、わずか10年で、その名声が確立されたのは、彼の死後のことです。その背景には、ゴッホの芸術と想いを次の世代へと伝え続けた、家族の存在がありました。

本展では、ファン・ゴッホ美術館の全面的な協力のもと、選りすぐりのゴッホ作品が30点以上も展示されます。さらに同時代の画家の作品や日本初公開となる貴重な手紙も加わり、ゴッホが生涯をかけて追い求めた芸術と、それを支えた家族の軌跡をたどります。
gogh②
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」会場写真

第1章 ファン・ゴッホ家のコレクションからファン・ゴッホ美術館へ
本展の冒頭では、ゴッホの作品を未来へとつないだ家族の歩みに焦点を当てます。
兄フィンセントを支え続けた弟テオは、兄の死から半年後に急逝しますが、その大半の作品を手元に保管していました。
彼の未亡人ヨーは、展覧会や書簡の出版を通じて義兄の作品の普及に尽力し、その志は息子フィンセント・ウィレムに受け継がれます。
1960年にフィンセント・ファン・ゴッホ財団が設立され、1973年にはアムステルダムにファン・ゴッホ美術館が開館。こうしてゴッホの作品は広く人々に開かれることとなりました。
gogh①
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」会場写真

第2章 フィンセントとテオ、ファン・ゴッホ兄弟のコレクション
第2章では、ファン・ゴッホ兄弟が共に築き上げたコレクションが紹介されます。
2人は、若い頃から美術商で働き、美術に触れる機会に恵まれていました。
フィンセントは画業初期に、フランスやイギリスの新聞に掲載された挿絵版画から大きなインスピレーションを得ていました。
一方、パリで働いていたテオは、エドゥアール・マネの版画やアルマン・ギヨマンの絵画など、同時代の作家の作品を入手しています。
IMG20250911123326
(左から)エドゥアール・マネ 《剣を持つ少年、左向き》 1862年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)、エドゥアール・マネ 《ジプシーたち》 1862年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

また、パリでポール・ゴーガンやエミール・ベルナールといった前衛的な芸術家と知り合ったフィンセントは、自らの絵画と交換で彼らの作品を手に入れることもありました。
その一つがこの《フィンセント・ファン・ゴッホの肖像》です。肩越しにこちらを見つめる画家の姿が印象的なこの肖像画を、フィンセントは気に入り大切にしていました。
IMG20250911123137
ジョン・ピーター・ラッセル 《フィンセント・ファン・ゴッホの肖像》 1886年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

フィンセントは浮世絵を熱心に購入し、その斬新な構図や鮮やかな色彩から芸術的な刺激を受けました。本章では、三代歌川豊国(歌川国貞)の《花源氏夜の俤》など、彼が収集した浮世絵も展示されています。
IMG20250911123446
第2章展示風景より、(左)三代歌川豊国(歌川国貞)《花源氏夜の俤》 1861(文久元)年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

フィンセントは「あの日本人たちが僕たちに教えてくれることは、まるで新しい宗教のように思えないだろうか」と手紙に記すなど、その大胆な構図や鮮やかな色彩に心酔しました。浮世絵は、彼の代表作の一つである《種まく人》にも影響を与えています。

第3章 フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描
27歳という比較的遅い年齢で画家になる決意をしたゴッホは、わずか10年という短い期間に驚くほどの数の作品を生み出しました。
第3章では、ゴッホが画家として歩み始めた初期の時代から、その画業をたどっていきます。

画家を目指した当初、ゴッホは故郷オランダの農民たちの素朴で厳しい暮らしを、暗い色調で描き出しました。
IMG20250911123707
フィンセント・ファン・ゴッホ 《小屋》 1885年5月、ニューネン  ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

1886年にパリへ移ると、印象派の明るい画面に魅了され、作風は一変します。新しい色彩と筆づかいを身につけようと熱心に取り組んだのが花の静物画で、《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》のように、この年の夏だけで30点以上を描きました。
IMG20250911123916
第3章展示風景より、(左)フィンセント・ファン・ゴッホ 《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》 1886年8-9月、パリ ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

パリ時代最後の自画像とされる《画家としての自画像》では、色彩理論に学んだ色づかいと大胆で自由な筆づかいを見事に用い、芸術家としての自らの姿を描き出しています。
IMG20250911123825
フィンセント・ファン・ゴッホ 《画家としての自画像》 1887年12月-1888年2月、パリ ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

1888年、ゴッホは南仏アルルへと向かいます。アルルの眩い光と鮮烈な色彩は、彼の芸術をさらに開花させ、数々の傑作を生み出す原動力となりました。
アルルで描かれた《浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて》は、空の青と砂浜の白、漁船の鮮やかな色彩が響き合う美しい作品です。
《耕された畑(「畝」)》は、大きな土の塊と畑自体を主題とし、自然と田園の壮大さを力強い筆触で表現しています。
IMG20250911124008
フィンセント・ファン・ゴッホ 《耕された畑(「畝」)》 1888年9月、アルル ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

アルル時代の代表作《種まく人》も出品されています。
ゴーガンと共同生活を送っていた頃、憧れのミレーに倣い、何度も試みを重ねて完成させた作品です。
沈む夕陽を背に、広大な畑で種をまく人物の姿は、生命の循環と自然への畏敬を感じさせます。
力強い輪郭線と大胆な色彩の対比は、ゴッホ独自のスタイルを鮮明に示しています。
IMG20250911123507
フィンセント・ファン・ゴッホ 《種まく人》 1888年11月、アルル ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

逆境の中で燃え続けた創作の炎
ゴーギャンとの共同生活の破綻と「耳切り事件」の後、ゴッホはサン=レミの療養院に入院しました。しかし創作意欲は衰えず、苦悩を力強い芸術へと昇華させていきます。
1889年秋、彼が熱心に取り組んだのはオリーブ園でした。
南仏を象徴する樹木として少なくとも15点を制作し、リズミカルな筆触や様式化を試みています。
テオへの手紙には『田舎らしさと大地の香りがする作品になるはずだ』と、本作への自信を綴っています。
IMG20250911124150
フィンセント・ファン・ゴッホ 《オリーブ園》 1889年11月、サン=レミ=ド=プロヴァンス ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

この時期、尊敬するミレーの作品をもとに描いたシリーズにも取り組んでいます。
IMG20250911124124
(左から)フィンセント・ファン・ゴッホ《 羊毛を刈る人(ミレーによる)》 、《麦を束ねる農婦(ミレーによる)》 いずれも1889年9月、サン=レミ=ド=プロヴァンス、ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

終焉の地となるオーヴェール=シュル=オワーズで描いた《農家》や《麦の穂》といった作品からは、最期の瞬間まで続いた創作への情熱が伝わってきます。
IMG20250911124243
(左から)フィンセント・ファン・ゴッホ 《麦の穂》 1890年6月、 《農家》 1890年5-6月、いずれもオーヴェール=シュル=オワーズ ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

第4章 ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが売却した絵画
テオの死後、ヨーは膨大な作品を引き継ぎました。彼女は、美術の専門知識はなかったものの、義兄の芸術的価値を信じて名声確立のために行動します。
作品の売却も生活のためだけでなく、ゴッホを世に認めさせるという目的のための戦略でした。
有名な《ヒマワリ》をロンドンのナショナル・ギャラリーへ売却した際には、それを「フィンセントの栄光のための犠牲」と記しています。

この会計簿には、いつ誰にいくらで売ったのかが細かく記録され、ヨーが慎重かつ計画的に作品を世に送り出していたことがわかります。
IMG20250911124517
テオ・ファン・ゴッホ、ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル『テオ・ファン・ゴッホとヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルの会計簿』 1889-1925年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

本章では、彼女の尽力でアムステルダム市立美術館に収められた《モンマルトルの菜園》や、現在メナード美術館に所蔵される《一日の終り(ミレーによる)》など、ヨーによって世界に広まった作品が紹介されています。
IMG20250911124545
フィンセント・ファン・ゴッホ 《モンマルトルの菜園》 1887年、アムステルダム市立美術館
Collection Stedelijk Museum Amsterdam, gift of the Association for the Formation of a Public Collection of Contemporary Art in Amsterdam (VVHK),1949

第5章 コレクションの充実 作品収集
最終章では、1973年の開館以降も成長を続けるファン・ゴッホ美術館の姿を紹介します。
1973年に開館したファン・ゴッホ美術館は、当初は財団のコレクション展示が主でしたが、1980年代後半から、ゴッホの芸術をより幅広い文脈で紹介するため、新たな作品収集が始まりました。

会場には、ゴッホの友人であったカミーユ・ピサロや、ポール・シニャックをはじめ、互いに影響を受けたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、ナビ派として知られるエドゥアール・ヴュイヤール、ピエール・ボナールなど、19世紀後半から20世紀初めの芸術の多様性を伝える作品が並んでいます。
IMG20250911125023
第5章展示風景

本展で日本初公開となる貴重なゴッホ直筆の手紙4通も近年収集されたものです。
インクで綴られた繊細な文字からは、絵画だけではうかがい知ることのできない、ゴッホの人間味あふれる素顔が浮かび上がってきます。
IMG20250911124922
第5章展示風景より、ゴッホ直筆の手紙

家族から始まった画家の夢を守り伝える活動は、今も美術館によって続けられているのです。

五感で体感するゴッホの世界
展覧会の最後には、特別な体験が待っています。
横幅14メートルの巨大なスクリーンに、《カラスの飛ぶ麦畑》や、《花咲くアーモンドの木の枝》などの作品がデジタルアートとして映し出されます。
さらに、SOMPO美術館所蔵の《ひまわり》も最新の映像技術で、肉眼では迫りきれない視点から紹介されています。
ゴッホの世界を五感で体感できる、新たなアート体験をぜひ楽しんでみてください。
IMG20250911125238

gogh⑪
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」会場写真

特設ショップでは、本展図録のほか、代表作をモチーフにした文房具や雑貨、ポストカードなど、ゴッホの作品世界から着想を得た、多彩なオリジナルグッズがそろっています。
色鮮やかな絵画をあしらったアイテムは、自分へのお土産はもちろん、大切な人への贈り物にもぴったりです。
IMG20250911125559

ゴッホの名作の裏には、彼を信じ、その芸術を守り抜いた家族の深い愛がありました。一枚一枚の絵に込められた画家の魂と、それを未来へとつないだ家族の物語を、ぜひ会場で触れてみてください。

【開催概要】
展覧会名:ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢
会期:2025年9月12日(金)—12月21日(日)
会場:東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)
開室時間:9:30–17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日:月曜日、9/16(火)、10/14(火)、11/4(火)、11/25(火)※9/15(月・祝)、9/22(月)、10/13(月・祝)、11/3(月・祝)、11/24(月・休)は開室
観覧料:一般2,300円、大学生・専門学校生1,300円、65歳以上1,600円、18歳以下・高校生以下無料
※土日、祝日および12月16日(火)以降は日時指定予約制
※9月平日のみ、大学生・専門学校生は無料
展覧会公式サイト:https://gogh2025-26.jp/