京都国立博物館・平成知新館にて、2025年6月15日まで大阪・関西万博開催記念 「日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」が開催されています(会期中、一部作品の展示替えあり。展示期間表記のない作品は通期展示)。
本展では、大阪・関西万博の開催を記念し、日本美術がいかに多様な異文化と交流し、影響を受けながら独自の美を育んできたか、その軌跡をたどります。

日本の歴史をひもといてみると、アジアや遠くヨーロッパからもたらされた品々や技術、そして人々との出会いが、常に新たな文化を生み出す原動力となってきたことがわかります。「美のるつぼ」とは、異なる文化などが溶け合って新しいものが生まれることのたとえです.。
本展では、国宝19件、重要文化財53件を含む200件の名品を通じて、その豊かで複雑な「るつぼ」の世界をひも解いていきます。
本展では、国宝19件、重要文化財53件を含む200件の名品を通じて、その豊かで複雑な「るつぼ」の世界をひも解いていきます。

※展示室内の写真は特別の許可を得て撮影
「ジャポニスム」と、日本が見せたかった「美術」
「プロローグ 万国博覧会と日本美術 」では、近代日本の夜明け、世界との劇的な出会いから始まります。
日本が近代国際社会にデビューした頃、西洋の人々が抱いた日本美術のイメージは、江戸時代から輸出されていた伊万里焼や輸出漆器、そして開国後に市場に大量に流出した印籠、根付、刀装具、浮世絵といった、どちらかといえば日常的な工芸品や骨董品が中心でした。
日本が近代国際社会にデビューした頃、西洋の人々が抱いた日本美術のイメージは、江戸時代から輸出されていた伊万里焼や輸出漆器、そして開国後に市場に大量に流出した印籠、根付、刀装具、浮世絵といった、どちらかといえば日常的な工芸品や骨董品が中心でした。

《蒔絵小箱(カザール・コレクション) 》江戸~大正時代 19~20世紀 大阪市立美術館
特に葛飾北斎の浮世絵は、西欧の芸術家たちに衝撃を与えました。例えば、《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》は、ゴッホやドビュッシーにも影響を与え、西欧で「ジャポニスム」と呼ばれる日本ブームを巻き起こしました。

「プロローグ 万国博覧会と日本美術 I 」展示風景より、(右)《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》葛飾北斎画 江戸時代 天保2年(1831)頃 山口県立萩美術館・浦上記念館 前期展示 ※後期は和泉市久保惣記念美術館所蔵品を展示

「プロローグ 万国博覧会と日本美術 I 」展示風景より、(右)《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》葛飾北斎画 江戸時代 天保2年(1831)頃 山口県立萩美術館・浦上記念館 前期展示 ※後期は和泉市久保惣記念美術館所蔵品を展示
また、ウィーン万博からの帰途、海に沈んだものの奇跡的に引き揚げられた《色紙団扇散蒔絵料紙・硯箱》は、その数奇な運命とともに、日本の漆工品の耐久性を世界に知らしめるきっかけとなりました。

(左から)《色紙団扇散蒔絵料紙・硯箱》江戸~明治時代 19世紀 京都国立博物館、《髹漆見本軍配形衝立》橋本市蔵(初代)作 明治5年(1872)頃 京都国立博物館
しかし、明治政府はこうしたイメージだけでは満足せず、日本にも誇るべき「歴史」と「美術」がある「文明国」であることを示そうとしました。そこで、1900年のパリ万国博覧会では、日本初の西洋式の日本美術史『Histoire de l'Art du Japon』( 『日本美術史』)をフランス語で編纂し、「世界に見せたかった日本美術」を発信します。

《Histoire de l’Art du Japon(『日本美術史』)》千九百年巴里万国博覧会臨時博覧会事務局編 Emmanuel Tronquois・François Thiébault-Sisson訳 明治33年(1900)刊 京都国立博物館 頁替あり
この本には、現在では 国宝や重要文化財となった名品が収録されています。銅鐸のような弥生時代の金工品や、埴輪のような古墳時代の造形も同書に掲載されました。

(左から)【重要美術品】 《埴輪 鍬を担ぐ男子》伝群馬県太田市脇屋町出土 古墳時代 6世紀 京都国立博物館、【重要文化財】 《突線鈕五式銅鐸》滋賀県野洲市小篠原字大岩山出土 弥生時代 1~3世紀 東京国立博物館、
さらに、尾形光琳の作品が西欧で人気だったことから、俵屋宗達の国宝《風神雷神図屏風》などが再評価され、「琳派」という概念が形成されていくのもこの時期です。近代国家としてのアイデンティティを確立しようとする中で、「日本美術史」そのものが、ある意味で海外との交流の産物として形作られていったのです。

【国宝】《風神雷神図屏風》俵屋宗達筆 江戸時代 17世紀 京都 建仁寺

【国宝】《風神雷神図屏風》俵屋宗達筆 江戸時代 17世紀 京都 建仁寺
大陸からの波:技と教えが育んだ日本の美
「第1部 東アジアの日本の美術」では、時代を遡り、古代から中世にかけて、日本がいかに東アジア世界、特に中国や朝鮮半島との密接な交流の中で文化を育んできたかを探ります。
「Ⅰ 往来がもたらす技と美」で注目するのは、弥生時代から古墳時代にかけての交流です。
福岡の王墓から出土した、重要文化財《吉武高木遺跡 3号木棺墓出土品》には、朝鮮半島製の鏡や武器(銅剣、銅矛、銅戈)とともに、新潟県糸魚川産のヒスイで作られた勾玉などが含まれています。鏡・剣・玉という「三種の神器」のセットで副葬された例としては最古のものであり、当時の日本列島と大陸との間で、権威の象徴や思想までもが共有されていたことを示しています。

「第 1 部 東アジアの日本の美術 I 往来がもたらす技と美」展示風景より、(右)【重要文化財】 《吉武高木遺跡 3号木棺墓出土品》福岡市西区吉武高木遺跡出土 弥生時代 紀元前3世紀 文化庁(福岡市博物館収蔵)
福岡の王墓から出土した、重要文化財《吉武高木遺跡 3号木棺墓出土品》には、朝鮮半島製の鏡や武器(銅剣、銅矛、銅戈)とともに、新潟県糸魚川産のヒスイで作られた勾玉などが含まれています。鏡・剣・玉という「三種の神器」のセットで副葬された例としては最古のものであり、当時の日本列島と大陸との間で、権威の象徴や思想までもが共有されていたことを示しています。

「第 1 部 東アジアの日本の美術 I 往来がもたらす技と美」展示風景より、(右)【重要文化財】 《吉武高木遺跡 3号木棺墓出土品》福岡市西区吉武高木遺跡出土 弥生時代 紀元前3世紀 文化庁(福岡市博物館収蔵)
また、高松塚古墳出土の副葬品や壁画の人物群像にも、大陸由来の品々や風俗の影響が見られます。

(左から)《高松塚古墳壁画模写のうち 東壁》守屋多々志画ほか 昭和48~49年(1973~74) 原品:飛鳥~奈良時代 7世紀末~8世紀初 奈良文化財研究所 前期展示、【重要文化財】 《高松塚古墳出土品のうち》奈良県高市郡明日香村高松塚古墳出土 中国・唐時代 7世紀 飛鳥時代 7世紀末~8世紀初 奈良文化財研究所
奈良時代になると、唐三彩の技術をもとに、日本国内で作られた重要文化財《三彩蔵骨器》のような作品が登場します。これは、海外の先進技術を積極的に受け入れながらも、日本の用途や好みに合わせて巧みに「日本化」していく、まさに「るつぼ」的な創造プロセスを物語っています。

「第 1 部 東アジアの日本の美術 I 往来がもたらす技と美」展示風景より、(左)【重要文化財】《三彩蔵骨器》和歌山県橋本市名古曽古墓出土 奈良時代 8世紀 京都国立博物館
続く「Ⅱ 教えをもとめて」では、特に仏教の伝来とその影響に焦点を当てます。
仏教を通じた交流は、当時最先端の思想や工芸、技術を日本にもたらしました。
空海が唐から持ち帰った経典を納めるために作られた国宝《宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱》には、文様の構成に唐の影響が見られる一方、極楽浄土の霊鳥・迦陵頻伽(かりょうびんが)は和風の愛らしい表情で描かれています。そこには、異文化の受容と日本的感性との融合が見て取れます。
また、中国南北朝時代の僧で様々1な神異を行ったという宝誌和尚の逸話に基づき、日本で作られた重要文化財《宝誌和尚立像》は、他に現存している例がない作品です。

「第 1 部 東アジアの日本の美術Ⅱ教えを求めて」展示風景より、(右)【重要文化財】《宝誌和尚立像》平安時代 11世紀 京都 西往寺
「唐物」への熱狂と、”もったいない”が生んだ新たな価値
第1部の後半「Ⅲ 唐物―中国への憧れ」では、中世、特に室町時代に花開いた「唐物」への憧憬に光を当てます。

「第 1 部 東アジアの日本の美術 III 唐物―中国への憧れ」展示風景より、(手前ガラスケース内)【重要文化財】 《油滴天目》建窯 中国・南宋時代 12~13世紀 九州国立博物館
武士が政治の実権を握り、禅宗文化が隆盛した時代、中国(宋・元・明)からもたらされた美術工芸品は「唐物」と呼ばれ、最高のステータスシンボルとして珍重されました。
たとえば、足利将軍家の所蔵を経て、織田信長や豊臣秀吉といった天下人の手に渡った《唐物茄子茶入 付藻茄子》(中国・南宋〜元時代、13〜14世紀、東京・静嘉堂文庫美術館蔵[前期展示])は、唐物の中でも屈指の名品です。大坂夏の陣で破損しましたが、丁寧に修復され、今日まで伝えられています。
この時代、唐物は会所や茶の湯の空間を飾る道具としても用いられました。中国からもたらされた《青磁花瓶》や《油滴天目》などは、そうした場で珍重された品々です。

「第 1 部 東アジアの日本の美術 III 唐物―中国への憧れ」展示風景より、(左)《青磁花瓶》龍泉窯 中国・南宋~元時代 13~14世紀 兵庫 太山寺
そして「トピック 誤解 改造 MOTTAINAI」では、異文化理解の過程で生じる誤解や、日本的な好みによる改造、そして物を大切にする「もったいない」精神が、ユニークな美術品を生み出した事例を紹介します。

「第 1 部 東アジアの日本の美術 III 唐物―中国への憧れ」展示風景より、(左)《青磁花瓶》龍泉窯 中国・南宋~元時代 13~14世紀 兵庫 太山寺
そして「トピック 誤解 改造 MOTTAINAI」では、異文化理解の過程で生じる誤解や、日本的な好みによる改造、そして物を大切にする「もったいない」精神が、ユニークな美術品を生み出した事例を紹介します。
例えば、中国の鏡に描かれた馬車を、実物を知らない古墳時代の日本の工人が模倣した結果、車輪がかたつむりのような形になったり、虎と豹を混同して描いた《龍虎豹図》(伝狩野松栄筆)のような作品が生まれました。

「トピック 誤解 改造 MOTTAINAI」展示風景
また、《青磁輪花茶碗 銘 鎹》(龍泉窯)のように、破損した品ですら舶来品として大切にし、価値を見出す精神も、日本的な感性のあらわれです。
複数の割れた中国陶磁器の破片をつなぎ合わせて一つの茶碗とした《五彩蓮華花文呼継茶碗 銘 家光公》なども、異文化を受容し、変容させていく日本独特の美意識や感性といえるでしょう。

「トピック 誤解 改造 MOTTAINAI」展示風景
また、《青磁輪花茶碗 銘 鎹》(龍泉窯)のように、破損した品ですら舶来品として大切にし、価値を見出す精神も、日本的な感性のあらわれです。
複数の割れた中国陶磁器の破片をつなぎ合わせて一つの茶碗とした《五彩蓮華花文呼継茶碗 銘 家光公》なども、異文化を受容し、変容させていく日本独特の美意識や感性といえるでしょう。
大航海時代の荒波を越えて:グローバル化する美意識
「第2部 世界と出会う、日本の美術」では、舞台は16世紀以降、大航海時代へと移ります。ヨーロッパ諸国のアジア進出という「地球規模の荒波」が日本にも押し寄せ、これまでの東アジア中心の交流とは異なる、新たな出会いが始まります。

「第 2 部 世界と出会う、日本の美術 I 地球規模の荒波」展示風景より、将軍の妻が実家の寺に寄進したと考えられるヴェネツィア製の鏡(右)《唐鏡》ヴェネツィア 17世紀 京都 本満寺
「Ⅰ 地球規模の荒波」では、ポルトガルやスペイン、後にオランダやイギリスといった西洋諸国との接触がもたらした影響を探ります。
この時期、宣教師がもたらしたキリスト教、商人たちが運んだ鉄砲や珍しい文物などは、日本の社会や文化に大きな衝撃を与えました。
豊臣秀吉が所用したと伝わる重要文化財《鳥獣文様綴織陣羽織》は、実はペルシャ(サファヴィー朝)で作られた綴織を、秀吉が陣羽織として仕立て直したものです。当時のグローバルな交易網を通じて、遠くペルシャの工芸品が日本の武将の手に渡っていたことを示す好例です。

(手前ガラスケース内)【重要文化財】 《鳥獣文様綴 織陣羽織》豊臣秀吉所用 綴織:ペルシア 16世紀 仕立て:桃山時代 16世紀 京都 高台寺 4月19日~5月11日展示
また、インドネシア周辺の伝統的な短剣《クリス》が、京都の石清水八幡宮に伝わったという事実は、異国の品々が様々に往来していたことを示しています。

(左から)《レイピア写し剣》江戸時代 17世紀 滋賀 藤栄神社、《クリス》インドネシア 16~17世紀 京都 石清水八幡宮
このように、日本はアジアとヨーロッパを結ぶ広大なネットワークの一部となり、様々な文化が流入する文字通りの「るつぼ」となっていたのです。

(左から)《レイピア写し剣》江戸時代 17世紀 滋賀 藤栄神社、《クリス》インドネシア 16~17世紀 京都 石清水八幡宮
このように、日本はアジアとヨーロッパを結ぶ広大なネットワークの一部となり、様々な文化が流入する文字通りの「るつぼ」となっていたのです。
続く「Ⅱ グローバル時代のローカル製品」では、17世紀から18世紀にかけて、世界的な商品の流通が活発になる中で、各地で類似品が生産されるようになった現象に注目します。
《楼閣山水蒔絵水注》は、イスラム圏の金属や磁器製の水注を中国で磁器などに写し、さらに日本の木工で写した輸出用の工芸品です。この類品が、フランスのマリー・アントワネットの旧蔵品としてルーヴル美術館に現存しています。これは、日本の工芸品が遠くヨーロッパの王侯貴族にまで愛好されていたことを物語っています。

「第 2 部 世界と出会う、日本の美術 II グローバル時代のローカル製品」展示風景より、(左)《楼閣山水蒔絵水注》江戸時代 18世紀 京都国立博物館
また、ヨーロッパの宮殿を飾ったとされる華麗な伊万里なども、グローバルな需要に応える形で日本の「ローカル製品」が生み出され、世界へと羽ばたいていった例です。

「第 2 部 世界と出会う、日本の美術 II グローバル時代のローカル製品」展示風景より、ヨーロッパの宮殿を飾った伊万里の展示
人・モノ・知の交差点:異文化理解の先に見えるもの
「Ⅲ 技術移植と知的好奇心」では、人の移動がもたらした技術の伝播と、異文化への知的な関心を探ります。
豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の時には、朝鮮半島から連れてこられた陶工たちが作陶技術を伝え、西日本各地に広まりました。

「第 2 部 世界と出会う、日本の美術 III 技術移植と知的好奇心」展示風景
江戸時代に入ると、朝鮮王朝との国交が回復し、「朝鮮通信使」が12回にわたり来日します。数百人規模の使節団は、各地で文化的な交流を行い、日本の知識人たちに大きな刺激を与えました。
今回初公開となる《二十四孝図巻》には、日本の絵師24名が描いた絵に、来日した朝鮮通信使の随員が漢詩の序文などを書き加えており、当時の日朝文化交流の具体的な証しとなっています。
今回初公開となる《二十四孝図巻》には、日本の絵師24名が描いた絵に、来日した朝鮮通信使の随員が漢詩の序文などを書き加えており、当時の日朝文化交流の具体的な証しとなっています。

《二十四孝図巻》土佐光祐ほか筆 江戸時代 18世紀
そして「Ⅳ 新・中国への憧れ」では、連綿と続いていた中国文化への憧れが江戸時代に再燃し、中国趣味が、大きな潮流となったことを見ていきます。
明末清初の動乱期に来日した禅僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)は、京都の宇治に黄檗山の萬福寺を開き、日本の仏教界に新風を吹き込みました。
彼は、インゲン豆や明朝体の書体などを伝えたことでも知られますが、芸術面でも大きな影響を与えました。
萬福寺には、隠元が招いた中国人仏師・范道生(はんどうせい)が制作した仏像が伝わっています。《十八羅漢坐像のうち羅怙羅尊者像》など、それまでの日本の仏像とは異なる写実的で力強い作風は、日本の仏師にも影響を与え、「黄檗様」と呼ばれる新しい様式を生み出しました。
彼は、インゲン豆や明朝体の書体などを伝えたことでも知られますが、芸術面でも大きな影響を与えました。
萬福寺には、隠元が招いた中国人仏師・范道生(はんどうせい)が制作した仏像が伝わっています。《十八羅漢坐像のうち羅怙羅尊者像》など、それまでの日本の仏像とは異なる写実的で力強い作風は、日本の仏師にも影響を与え、「黄檗様」と呼ばれる新しい様式を生み出しました。

《十八羅漢坐像のうち羅怙羅尊者像》范道生作 江戸時代 寛文4年(1664) 京都 萬福寺
また、池大雅は古来中国の名勝として知られる洞庭湖と赤壁の景観を中国・唐時代風の青緑山水の画法で描き、尾形光琳・乾山兄弟は中国の伝統的な画題をモチーフにした作品を手がけました。

(左から)《色絵氷裂文角皿》尾形乾山作 江戸時代 17~18世紀 、 【重要文化財】《銹絵寒山拾得図角皿》尾形乾山作 尾形光琳画 江戸時代 18世紀 いずれも京都国立博物館
最後に「エピローグ 異文化を越えるのは、誰?」では、美術が持つ、文化や国境、時代を越える力について問いかけます。
その鍵となるのが、平安時代の絵巻の名品《吉備大臣入唐絵巻》(平安時代 12世紀後半、ボストン美術館所蔵)です。
遣唐使・吉備真備が唐で様々な難題を知恵で解決する痛快な物語を描いたこの絵巻が、昭和初期、日本への国際的な風当たりが強い時期にボストン美術館で公開された際、多くのボストン市民がこの絵巻を好意的に受け入れたといいます。
遣唐使・吉備真備が唐で様々な難題を知恵で解決する痛快な物語を描いたこの絵巻が、昭和初期、日本への国際的な風当たりが強い時期にボストン美術館で公開された際、多くのボストン市民がこの絵巻を好意的に受け入れたといいます。
このエピソードは、政治状況にかかわらず、時を超え、言葉を超えて、美術は普遍的な感動を生み出す力を持つことを、改めて教えてくれます。
グッズも「るつぼ」!展覧会の熱気を持ち帰ろう
展覧会のもう一つの魅力は、多彩なミュージアムグッズです。人気キャラクター「すみっコぐらし」とのコラボグッズでは、“すみっコ”たちが出品作をモチーフにした展覧会限定仕様で登場。
さらに、秀吉が所用したと伝わる《鳥獣文様綴織陣羽織》柄のシャツ、《風神雷神図屏風》のフィギュアや「一澤信三郎帆布」とコラボしたトートバックなど、和と洋、伝統と現代が融合したアイテムが豊富に揃っています。

この展覧会は、「交流」という視点から日本美術の歴史を読み解く、画期的な試みです。弥生時代から近代に至るまで、日本が多様な文化を受け入れ、影響しあいながら独自の美を創造してきた過程を、一級の美術品を通して体感できます。
「るつぼ」の中で生まれた作品の数々は、新たな発見と驚きをもたらしてくれるはずです。今しか出会えない、知的好奇心を刺激する美の旅をぜひ会場で楽しんでみてください。
「るつぼ」の中で生まれた作品の数々は、新たな発見と驚きをもたらしてくれるはずです。今しか出会えない、知的好奇心を刺激する美の旅をぜひ会場で楽しんでみてください。

【開催概要】
展覧会名:大阪・関西万博開催記念 「日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」
会期:2025年4月19日(土)〜6月15日(日)
前期展示: 4月19日(土)~5月18日(日) 後期展示: 5月20日(火)~6月15日(日)
※会期中、一部の作品は上記以外にも展示替を行います。
会場:京都国立博物館 平成知新館
開館時間:9:00〜17:30(入館は17:00まで) ※金曜日は9:00〜20:00(入館は19:30まで)
休館日:月曜日 ※ただし、5月5日(月・祝)は開館、5月7日(水)は休館
入館料:一般2,000円、大学生1,200円、高校生700円、中学生以下無料 (要証明)
公式ホームページ:https://rutsubo2025.jp/