東京国立近代美術館で、「ハニワと土偶の近代」が12月22日まで開催中です。本展では、古代の遺物であるハニワと土偶が、近代以降の日本でどのように受け止められ、芸術作品として扱われるようになったのかを探ります。
好古と考古のはざまで
展覧会は4つの章で構成されています。序章「好古と考古─愛好か、学問か?」では、江戸時代後期から明治時代にかけて、古い遺物がどのように扱われてきたかを紹介しています。
ミノムシのように生活用具一式をかついで全国を放浪し、遺物を自ら発掘、蒐集していた蓑虫山人が、土偶や土器を中国文人画風にまとめた想像図や、五姓田義松のハニワのスケッチなどが展示されています。
蓑虫山人《陸奥全国古陶之図》1882–87年頃 弘前大学 北日本考古学研究センター
河鍋暁斎は、『日本書紀』に登場する、ハニワ作りの土師臣の祖と伝わる野見宿禰を描きました。こうした作品からは、幕末から明治にかけての遺物への関心の高まりがうかがえます。
(左)河鍋暁斎《野見宿禰図》 1884 松浦武四郎記念館
国家のシンボルとしてのハニワ
第1章「「日本」を掘り起こす─神話と戦争と」では、近代国家としての日本が形成される中で、ハニワがどのように利用されたかを紹介しています。
展示風景より、(右)中村直人《草薙剣》1941 静岡市立登呂博物館
展示風景より、(右)中村直人《草薙剣》1941 静岡市立登呂博物館
明治時代後半から昭和初期にかけて、ハニワは日本の歴史を象徴する存在として重要視されていきます。帝室博物館(現在の東京国立博物館)に集められたハニワや土器は、単なる考古資料ではなく、皇室の歴史を物語る貴重な品として扱われました。
帝室博物館の考古陳列室に展示するために描かれた古墳図 二世 五姓田芳柳《圓形古墳図》大正時代 東京国立博物館
帝室博物館の考古陳列室に展示するために描かれた古墳図 二世 五姓田芳柳《圓形古墳図》大正時代 東京国立博物館
都路華香の《埴輪》は、明治天皇の陵墓のために新しく作られたハニワの影響を受けた作品です。ハニワが日本の歴史や伝統を象徴するものとして扱われるようになった様子がうかがえます。
都路華香《埴輪》1916 京都国立近代美術館
1940年の皇紀2600年を前に、仏教伝来以前の素朴な日本人の姿としてハニワが注目され、考古資料としてではなく、ハニワそのものの美が称揚されるようになります。
ハニワは多くの雑誌や絵葉書で特集され、たばこのパッケージにもなりました。
展示風景
高村光太郎や蕗谷虹児などは、当時の国粋主義的な雰囲気を反映した作品を残しています。《天兵神助》 は、戦時中に戦意高揚を促した航空美術展での出品作。倒れた航空士を抱いて古代の武人が雄叫びを上げています。
この時期、ハニワは「日本人の理想」として、戦意高揚や軍国教育にも利用されたのでした。
この時期、ハニワは「日本人の理想」として、戦意高揚や軍国教育にも利用されたのでした。
(左)清水登之《難民群》1941 栃木県立美術館 、(右)蕗谷虹児《天兵神助》1943 新発田市
戦後の「土」への回帰と芸術家たちの新たな表現
第2章「「伝統」を掘りおこす ―「縄文」か「弥生」か」では、戦後の芸術家たちがハニワや土偶に注目し、そこから新しい表現を生み出していった過程を紹介しています。
戦後、ハニワや土偶の捉え方は大きく変化し、考古学は実証的な学問として注目されるようになりました。
この時期、イサム・ノグチと岡本太郎という二人の芸術家が、日本の古代美術に新たな価値を見出し、現代美術に大きな影響を与えました。
戦前の来日時、京都の博物館で見て以来、ハニワ好きを公言していたイサム•ノグチ。ノグチは、日本の伝統的な素材や技法を現代的な感覚で再解釈し、古代と現代を融合させた独自の造形世界を築き上げました。
一方、岡本太郎は1952年に「縄文土器論」を発表し、縄文時代の造形に日本美術の原点を見出しました。岡本の《顔》は、表裏で異なる表情を持つ不思議な像です。岡本は、縄文時代の「荒々しさ」や「力強さ」を現代美術に取り入れることで、「伝統」を前衛的にアレンジしようとしました。
岡本太郎《顔》1952 川崎市岡本太郎美術館
この二人の芸術家の活動は、日本の古代美術を再評価する契機となり、多くの芸術家たちに影響を与えました。
1950年代の美術作品には、出土遺物のイメージを伴う作品が多く登場します。
この時期に制作された、武人埴輪の兜をイメージしたようなイサム・ノグチの《かぶと》(1952)や、土偶の形態を現代的に解釈した岡本太郎の《犬の植木鉢》(1954)などの立体作品が並ぶコーナーを見ると、戦後の多くの芸術家たちが古代遺物にインスピレーションを得ていたことがわかります。
展示風景
1950年代後半あたりから 「原始」 「古代」 「呪術」 「化石」 といったタイトルを冠した、荒ぶる 「原始」 たる怪物風のモチーフを描いた作品が登場し始めます。
コラージュや戯画を駆使して戦前から先端を走り続けた画家の桂ゆき。魚とともに描かれたユーモラスな顔は、じつは縄文時代の顔面把手付き土器が元になっています。
展示風景より、(左)桂ゆき《人と魚》1954 愛知県美術館
展示では、ハニワ派でもあり、土偶派でもある斎藤清や、前衛画家としてハニワや土偶にいち早く注目した長谷川三郎など、現代作家たちによるハニワや土偶をモチーフにした多様な作品が紹介されています。これらを通して、古代の遺物がどのように現代アートに取り入れられ、新たな表現として生まれ変わったのかをたどることができます。
展示風景より、(左)斎藤清《ハニワ》1953 福島県立美術館
芥川(間所)紗織の《古事記より》は、13.5メートルもの長さを持つ、ろうけつ染めによる大作です。民族の伝統を現代の美術に生かすメキシコ美術にならって、芥川は古事記を主題に選び、その世界を現代的に解釈し、絵巻風に仕上げました。
芥川(間所)紗織《古事記より》1957 世田谷美術館
自ら収集するほどハニワにのめり込んでいた猪熊弦一郎は、渡米翌年の個展で 〈HANIWA〉シリーズを発表しています。色彩や形態の配置がオリンピックのビジュアルデザインと重なる、《驚く可き風景(B)》は、古代の遺物であるハニワのイメージを、現代日本の象徴として再解釈し、抽象的に表現した作品と考えられます。
第3章「ほりだしにもどる ―となりの遺物」では、ハニワと土偶が現代の大衆文化の中でどのように取り上げられているかを紹介しています。特に1970年代から80年代にかけてはいわゆるSF・オカルトブームと合流し、特撮やマンガなどのジャンルで先史時代の遺物に着想を得たキャラクターが量産されました。1960年代につくられた大映の特撮映画『大魔神』は、国宝の埴輪《挂甲の武人》がモデルとされています。
展示風景より、ハニワと土偶関連のサブカルシャー関連資料の展示
フォトスポット
タイガー立石は国粋主義的な意味合いを持つ富士山とハニワをポップアートとして再解釈しました。
タイガー立石《富士のDNA DNA of Mt. Fuji》1992 アノマリー ANOMA
展示を通して、古代の遺物として教科書などでなじみのあるハニワや土偶が、単なる考古学的資料ではなく、日本の文化や社会の変遷を映し出す鏡であったことが見えてきます。
ハニワと土偶とともに、日本の近代化の過程たどり、それらが現代の私たちの生活や文化にどのように今も息づいているのか、この機会に新たな視点で見つめ直してみてはどうでしょうか。
【開催概要】
展覧会名:ハニワと土偶の近代
会期:2024年10月1日(火)~2024年12月22日(日)
会期:2024年10月1日(火)~2024年12月22日(日)
会場:東京国立近代美術館
住所:東京都千代田区北の丸公園3-1
時間:10:00~17:00(金曜・土曜は10:00~20:00)入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日、10月15日、11月5日
※ただし10月14日、11月4日は開館
観覧料 一般 1,800円(1,600円)
大学生 1,200円(1,000円)
高校生 700円(500円)
※( )内は20名以上の団体料金
※中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等を要提示