1959年に国立西洋美術館が開館して以来、初めての現代美術展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」が5月12日まで開催中です。
チラシ

本展には、実験的な活動をしている21組のアーティストが参加。
国立西洋美術館が所蔵する6000点を超えるなかから作品を選び、それをインスピレーション源に新作を制作、あるいは自らの既存作品と並置するなどして、新たな視点で美術館やコレクションの意義について、問題提議し、鑑賞者とともに考えます。

国立西洋美術館の母体となったものは、近代日本の実業家・松方幸次郎の収集による「松方コレクション」であることはよく知られていますが、松方が膨大な数の美術品を集めたのは、日本の若い洋画家たちに本物の西洋美術を見せるためでした。言い換えれば「アーティストのため」にという願いを託されながらに創設されたのが国立西洋美術館だといえます。

展覧会の冒頭「アーティストのために建った美術館?」の章では、パネル展示を中心に、上記のことに触れ、国立西洋美術館は「未来のアーティストたち」の制作活動に資するべく建ったのではなかったかということを、当時の資料とともに紹介。同館本館を基本設計したル・コルビュジエが考案した基準寸法「モデュロール」に合わせて構成したタイル作品《easel》が展示されています。
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展示風景より、(右)杉戸洋《easel 》2024年 作家蔵 

第1章「ここはいかなる記憶の磁場となってきたか?」は、様々な時代や地域に生きた/生きるアーティストらの記憶群が同居し、それぞれの力学が交錯する磁場のようなものとしての美術館の役割に着目。西洋銅版画の血脈を意識した作品を制作した中林忠良の作品とゴヤやルドンらの版画が並べて展示され、美術館のコレクションはどのような磁場を形成しているかを検証します。
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展示風景より、中林忠良の作品

内藤礼は、館収蔵のポール・セザンヌ《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》と自身の絵画作品《colorbeginning》 を並べて展示しています。 一見、白いキャンバスのように見えるこの作品と向き合っているとうっすらと色彩が見えてきます。《color beginning》とセザンヌの作品とのあいだにどのような共通点、関係性を見出すかは鑑賞者に委ねられています。
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左から、ポール・セザンヌ《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》1885–86年、内藤礼《color beginning》2022–23年

第2章「日本に『西洋美術館』があることをどう考えるか?」は、同館コレクションの作品があくまで「西洋美術」の文脈において収蔵されていることに着目。現在においても西洋中心主義を保持せずにはいられない同館の性格を議論の発端とし、館所蔵の藤田の作品を、小沢剛が2015年に制作した《帰ってきたペインターF》とともに展示し、国立西洋美術館の蒐集・展示の枠組みを問い直すことを試みます。
もし、戦争がなかったら?藤田がフランスのパリではなく、インドネシアのバリへ渡っていたら?彼の作品群は国立西洋美術館にあって「西洋美術」として蒐集/展示されているのか。 そもそも「西洋美術」 と呼びうるものの範囲ないし境界はどこになのか。小沢の作品はそういった問いも投げかけています。
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展示風景より、小沢剛の作品

小田原のどかによる新作インスタレーションでは、地震が絶えない日本に建つ美術館に固有の課題について示すため、西洋美術館を象徴する存在のひとつであるオーギュスト・ロダンの彫刻を横倒しにして展示。また供養のために建てられながら地震により倒壊することも多い五輪塔をモチーフにした造形や、部落解放運動のなかで「水平社宣言」を起草し、のちに転向した西光万吉の絵画を展示することで、美術における『転倒』や『転向』とはなにかをとらえ直すことを試みています。
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展示風景より、小田原のどかの作品

3章「この美術館の可視/不可視のフレームはなにか?」では、ル・コルビュジエが基本設計した国立西洋美術館の本館建築に多大な関心を寄せた布施琳太郎が、いまだ存在しない美術館建築のありかたを、ル・コルビュジエの絵画と対峙するかたちでサイコロをモチーフに呈示。
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展示風景より、布施琳太郎の作品

田中功起は、国立西洋美術館に対して複数の「提案」をするという行為自体を作品として提示。 提案を通して、美術館が暗黙のうちに前提としている「鑑賞者」の取捨選択を批判的に浮き彫りにしようとします。
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展示風景より、田中功起の作品

第4章「ここは多種の生/性の場となりうるか?」では、白人男性中心主義でコレクションを形成してきた同館を、多様性の観点から省みます。
鷹野隆大は、西洋の名画がもし現代の平均的な部屋に並んでいたらどう見えるかと考え、展示室にIKEAの家具を並べた空間に、ギュスターヴ・クールベやルカス・クラーナハ(父)の絵画といった同館のコレクションと、自身の写真作品を併置して展示。過去に制作されたよく知られた作品が、現代的な空間に置かれた時にどう見えるか?を問いかけます。これはかなり面白い鑑賞体験でした。
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展示風景より、鷹野隆大の作品

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展示風景より、鷹野隆大の作品

飯山由貴は国立西洋美術館の母体となった松方コレクションの中に、第一次世界大戦の戦争記録画やナショナリスティックな意図をもって発注された 絵画が含まれていたことに着目。松方幸次郎が想定していた 「アーティスト」 とはどういうものかを、国立西洋美術館の所蔵作品や松方コレクションの複製を用いたインスタレーションを通して批判的に問おうとしています。
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展示風景より、飯山由貴の作品

長島有里枝は、西洋中心的な美術史を変えるための提言として、2023年に名古屋で実施した「ケアの学校」の展示を美術館に持ち込みました。本展では誰もが知る芸術家であるピカソによる犬や猫のエッチング作品を「ただそこにいる」だけの存在として扱うことを試みています。

第4章と第5章のあいだには反-幕間劇ー「上野公園、この矛盾に充ちた場所:上野から山谷へ/山谷から上野へ」と題されたセクションがあり、弓指寛治による絵画が展示。国立西洋美術館がこれまで見つめてこなかった上野公園の路上生活者の問題を多角的に浮かび上がらせます。
いままでこうした活動には全く関わりがなかったという弓指は、いろいろつてをたどりつつ、路上生活者の多い近隣の山谷地区に約1年通い、膨大な量の絵画を描き上げました。訪問看護ステーションで働く人々など、さまざまな印象的な出会いがあったそうで、それぞれの絵画には、作家が実際に会って話した人々から得た学びや、そのときの感情が織り込まれています。
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展示風景より、弓指寛治の作品

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展示風景より、弓指寛治の作品

第5章「ここは作品たちが生きる場か?」は、美術館が作品を保存することの永続性の理念と実際を問う章。
ルーヴル美術館で大きく破損した状態で見つかった旧松方コレクションのクロード・モネ《睡蓮、柳の反映》は、現在最低限の保存処置のみを施して国立西洋美術館に展示されています。竹村京は、ありし日の記録を手がかりに、この欠損部分を刺繍によって想像的に補完する作品を制作しました。
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展示風景より、竹村京《修復されたC.M.の1916 年の睡蓮》2023–2024年 釡糸、絹オーガンジー  作家蔵

またエレナ・トゥタッチコワは「迷う」という行為に光を当て、美術館のなかを迷い歩くことで、その空間やそこにある絵画が、いかに生きられたものへと変わりうるかを作品を通して問いかけます。
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展示風景より、エレナ・トゥタッチコワの作品

第6章「あなたたちはなぜ、過去の記憶を生き直そうとするのか?」では、過去の芸術作品の中に自身を投じ、今日の世界において過去を別様に「生き直す」ことを試みるアーティストたちの作品を紹介。
梅津庸一による、自身の身体像をラファエル・コランの《フロレアル(花月)》のなかに投入した一連の自画像は、コランの作品に対するオマージュでもパロディでもない、梅津による「生き直し」の作品です。
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展示風景より、梅津庸一の作品

梅津が主宰するアーティスト・コレクティヴの「パープルーム」の活動を紹介する部屋も用意されています。
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展示風景より「パープルーム」の作品

遠藤麻衣は、『創世記』をもとにエドヴァルド・ムンクが制作したリトグラフ連作『アルファとオメガ』の世界観にインスピレーションを得て、フェミニズムの視点から、ムンクの版画と日本のストリップ劇場の歴史も絡ませたパフォーマンスの映像作品を発表しました。
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展示風景より、遠藤麻衣がインスピレーションを得たムンクのリトグラフ連作

実際には1983年生まれでありながら 「大正生まれの架空の三流画家」を演じるユアサエボシは、サム・フランシスの活動を1950/60年代に批判的に眺めていたというあらたな 「設定」のもと、国立西洋美術館が所蔵するサム・フランシスの 《ホワイト・ペインティング》と自身の抽象画とをともに展示し、フランシスへの批判的な姿勢を押し出した作品を制作しました。
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展示風景より、ユアサエボシの作品

最後の第7章「未知なる布置をもとめて」は、現代の画家たちが同館収蔵作品にどれだけ匹敵しうるのかを検証するため、杉戸洋、梅津庸一、坂本夏子、そして2014年に世を去った辰野登恵子の作品を、モネ、ポール・シニャック、ジャクソン・ポロックらの絵画と並べ、国立西洋美術館のコレクションと「現代絵画」がいかに拮抗するのかをさぐります。
現代の画家たちは、それぞれのやりかたで過去の芸術の記憶とつきあいつつも、未知なる造形実験を続けていることがわかります。
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左から、辰野登恵子《WORK 89-P-13》1989年、クロード・モネ《睡蓮》1916年

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展示風景より、梅津庸一の作品

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展示風景より、坂本夏子の作品とポール・シニャック《サン=トロペの港》1901–02年

国立西洋美術館はどんな場所なのか?そしてこれからどのように変化していくのか?
個性あふれるさまざまな作品を通して、国立西洋美術館の存在意義と役割を問うという展覧会は、新鮮な発見と驚きに満ちています。
いつの時代にも、 ”現代アート”として新しい美術が生み出されてきました。
巨匠たちの名画と今の時代の現代アートとの、時代とジャンルを超えたコラボレーションにより生まれる熱いエネルギーをぜひ会場で体感してみてください。

【展覧会概要】
企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」
会期:2024年3月12日(火)〜5月12日(日)
会場:国立西洋美術館 企画展示室
住所:東京都台東区上野公園7-7
開館時間:9:30~17:30(金・土曜日、4月28日[日]、4月29日[月・祝]、5月5日[日・祝]及び5月6日は9:30~20:00)※入館はいずれも閉館30分前まで
休館日:月曜日(3月25日(月)、4月29日(月・祝)、4月30日(火)、5月6日(月・振)は開館)、5月7日(火)
観覧料:一般 2,000円、大学生 1,300円、高校生 1,000円、中学生以下 無料
※観覧当日にかぎり、本展観覧券で常設展も観覧可
展覧会ウェブサイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023revisiting.html

■参加アーティスト
飯山由貴、梅津庸一、遠藤麻衣、小沢剛、小田原のどか、坂本夏子、杉戸洋、鷹野隆大、竹村京、田中功起、辰野登恵子、エレナ・トゥタッチコワ、内藤礼、中林忠良、長島有里枝、パープルーム(梅津庸一+安藤裕美+續橋仁子+星川あさこ+わきもとさき)、布施琳太郎、松浦寿夫、ミヤギフトシ、ユアサエボシ、弓指寛治

■同時期開催
小企画展「真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」
会期:2024年2月27日(火)〜5月26日(日)
会場:新館 版画素描展示室(常設展示室内)