企画展「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」が、東京・上野の国立西洋美術館にて、2024年1月28日(日)まで開催中です。
チラシ

本場パリ・ポンピドゥーセンターから50点以上が日本初出品!
日本でキュビスムを正面から取り上げる本格的な展覧会はおよそ50年ぶりです。
20世紀初頭、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが始めたキュビスムは、伝統的な西洋絵画の技法である遠近法や陰影法などによる3次元的な空間表現でなく、幾何学的に平面化された形によって画面を構成する試みでした。この2人の挑戦は、西洋美術の歴史にかつてないほどの大きな変革をもたらしました。
本展は、世界屈指の近現代美術コレクションを誇るパリのポンピドゥーセンターの所蔵品を中心に、約40人の作家による、絵画、彫刻、素描、版画など約140点を通して、20世紀美術の真の出発点となったキュビスムの全貌が紹介されています。そのうち50点以上が日本初出品となります。また本展では多くの作品が撮影可能です。
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会場風景

20世紀美術を根底から変えた美の革命の全貌を紹介
慣習的な美に挑み、視覚表現に新たな可能性を開いたキュビスムは、装飾デザインや建築、舞台美術を含む様々な分野にも広がった、絵画や彫刻の表現を根本から変える「芸術の大革命」でした。
14章で構成される本展の前半は、ポール・セザンヌやアンリ・ルソーの絵画、アフリカの彫刻などキュビスムの多様な源泉を探る「キュビスム以前」から始まり、ピカソとブラックがそれらを大胆に解釈しつつ、革新的な絵画を発明するに至るまでの軌跡を2人の代表作からたどることができます。
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会場風景

19世紀後半から20世紀初頭、西洋の絵画や彫刻の表現は、 それまでの伝統や規範から抜け出し、大きく変化していました。
なかでもポール・セザンヌ、ポール・ゴーガン、そしてアンリ・ルソーは、キュビスムの誕生にあたって重要な役割を果たします。
ピカソやブラックらキュビスムの画家たちは、 彼らの作品の中に、自分たちが探求しつつあった新しい表現の可能性を見出し、それらを跳躍台として自らの芸術を発展させていきました。
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会場風景

この頃、アフリカや オセアニアからは、 仮面や彫像など、その地の文化の多様な造形物がヨーロッパにもたらされていました。 ピカソやアンドレ・ドラン、ブラックらは、そうした造形物を自ら収集するとともに、西洋美術とは異なる表現のあり方を自らの作品に取り入れていきます。
こうした地域の美術への関心や、その影響による単純化され、 図式化された表現は、「プリミティヴィスム」と呼ばれました。
この像は、詩人ギョーム・アポリネールの旧蔵品。20世紀初頭の前衛芸術家たちがアフリカの造形物に関心を示し、熱心に収集していたことを物語っています。
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会場風景

本展では、アフリカやオセアニアの芸術に影響を受けたピカソが描いた《女性の胸像》や、ブラックがピカソの大胆な裸婦像への応答として制作した《大きな裸婦》が展示されています。

マリー・ローランサンが、モンマルトルに集う画家たちの共同アトリエ「洗濯船」で知り合った、ピカソなど当時の芸術家仲間を描いた作品も展示。アポリネールを中心に右側の女性がローランサン、アポリネールの右後ろがピカソです。
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マリー・ローランサン《アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)》1909年/ポンピドゥーセンター所蔵

セザンヌは自然を幾何学化することにより、対象の立体感や、存在感、空間を強調することを試みていました。また以前の絵画様式では1つの視点から絵画を描いていたのに対し、セザンヌは様々な視点から対象を観察し、それを1つのキャンバスの上に再構築しています。
画家自らが画面を構築しようとするセザンヌの試みは、絵画をいかに組み立てていくかを探究するキュビストたちに強い影響を与えました。セザンヌは、絵画の歴史に置いて革命を起こしたといえます。

ブラックは、セザンヌゆかりの地レスタックを度々訪れています。《レスタックの高架橋》は、1907年秋の同地滞在を経てパリで描かれた作品です。
レスタック滞在で制作された一連の風景画を中心とした27点の作品は、発表された際「キューブ」に還元していると評されました。 これが「キュビスム」という名称へと繋がります。
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会場風景

ピカソもまた、1908年から 1909年にかけてセザンヌを研究し、「セザンヌ的キュビスム」と呼びうる作品を残しています。

セザンヌが創り出した絵画様式を、ピカソとブラックの2人が飛躍させキュビスムが誕生します。
1909年から1914年まで、ピカソとブラックはキュビスムの造形実験を推し進め、 絵画の常識を壊すような新しいアイデアを次々と試みました。

初期の「分析的キュビスム」と呼ばれる様式は、抑制された色彩を用い、細かな線や切子面で対象物をいくつもの部分に分解して抽象画へと接近する試みでした。その結果、対象の分析と解体が進み、何が描かれているか判別が困難というほど作品は抽象化の度合いを増していきます。絵画は何かを写実的に描写するための場ではなく、自律的なイメージが構築される場となりました。
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会場風景

1912年になると「総合的キュビスム」 の段階を迎えます。この時代の作品は、鏡や新聞など本物を作品の要素として画面に貼るコラージュやパピエ・コレ(貼られた紙)といった新たな技法が試みられました。
画面には新聞の切り抜きの他にも、壁紙やロープなど、従来の絵では用いられない異質な素材が取り込まれ、多様な要素を組み合わせて、総合するように作品が作られるようになります。 絵画も、木目の紙が貼られたかのように見えるだまし絵的な表現や、平面が重なり合うような構成へと変わりました。
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会場風景

ピカソとブラックが、フランスでは契約画廊のみで作品を公開していたのに対し、2人の影響を受けた芸術家たちは、公募による大規模な展覧会で作品を発表したため、 今では 「サロン・キュビスト」 と呼ばれています。ピカソ、ブラックとは異なるアプローチで、キュビスムを一般に広めたサロン・キュビストたちは、キュビスムの展開において大きな役割を果たしました。
展示の後半では、その後のキュビスムの展開に重要な役割を果たすフェルナン・レジェ、フアン・グリス、ロベール・ドローネーらの主要画家たち、キュビスムを吸収しながら独自の作風を打ち立てていくマルク・シャガールら国際色豊かで個性的な芸術家たちを紹介します。

ブラックとピカソが創始したキュビスムは、 若い芸術家たちのあいだに瞬く間に広がり、多くの追随者を生みました。
キュビスム人気のけん引者の一人フェルナン・レジェもサロン・キュビスト代表作家の一人。
1910年には 《縫い物をする女性》のような最初のキュビスム絵画を描き、サロン・キュビスムの主要メンバーとなります。
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会場風景

ピカソとブラックは初期キュビスム作品において、形の問題を追及するため色彩を排除したといわれる一方で、サロン・キュビストたちは色彩という要素にも取り組みました。レジェは、婚礼という伝統的な主題を、対象を幾何学的な形態に分解・再構成し、色鮮やかな色彩で描きました。この作品のようにレジェは、円筒形(チューブ) を多用した独自の幾何学表現が特徴で、キュビストではなくチュビストと呼ばれました。
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フェルナン・レジェ《婚礼》1911–1912年/ポンピドゥーセンター所蔵

彼は、やがて豊かな色彩表現を追求するとともに、「コントラスト(対照・対比)」という概念を自らの制作の原理として追及するようになり、 1913年にはサロンの出品をやめて《形態のコントラスト》の連作を手掛けます。この作品では直線と曲線、白と原色など様々な要素が織りなす二項対立的構造によって、各要素がぶつありあうようなダイナミックな視覚的効果が作り出されています。
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会場風景

スペイン出身のグリスは、日本ではそれほど知名度はありませんが、ブラックが第一次世界大戦に従軍した後、パリで総合的キュビスムの展開を担った画家のひとりです。マティスをキュビスムに接近させたのもグリスといわれています。空間、形態、色彩といった個々の要素の再総合を試み、色のカラフルな感じを重視し、対角線や水平線、垂直線を強調した構成を持ちつつも、複雑な空間を特徴とする静物画を描きました。
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会場風景

サロン・キュビストたちは、 ピカソやブラック以上にキュビスムを理論化し、アルベール・グレーズらはキュビスム理論体系の創設と発展に貢献しました。
1912年に開催されたキュビスムのグループ展である 「セクションドール (黄金分割)」展で出品されたグレーズの大作 《収穫物の脱穀》は、絵画の主題としては伝統的な農民による収穫の場面を、キュビスムによる新しい造形で表現した作品です。
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アルベール・グレーズ《収穫物の脱穀》1912年/国立西洋美術館 ※東京会場のみ

光と色彩の研究を進め、 絵画における色彩の対比や同時性について追求していったロベール・ドローネー。 やがてサロン・キュビストたちとは距離を置き、色彩豊かな〈窓〉や〈円形〉といった抽象絵画の先駆けとなるシリーズを展開しました。
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会場風景

ドローネーの「同時主義」 は、単なる色彩論にとどまらず、 異質な要素を同一画面に統合する方法でもありました。
初来日となる幅4メートルにもおよぶ大作《パリ市》は、多様な要素がひとつにまとめられ、現代性と伝統とを結びつけた彼のキュビスム絵画の集大成と言える大作です。
エッフェル塔がそびえ立つパリの町と、古典的な三美神を思わせる裸婦像が組み合わされ、左下にはルソーの「風景の中の自画像」の背景にある橋が描き込まれていています。ドローネーは、色と光に着目し、生まれた街であるパリを新しい画法で表現しました。美しい色彩の堂々たる大作は本展の目玉作品のひとつです。
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ロベール・ドローネー《パリ市》1910–1912年/ポンピドゥーセンター所蔵

画家で版画家のジャック・ヴィヨン(ガストン・デュシャン)や、彫刻家のレイモン・デュシャン=ヴィヨンが構えたアトリエ「ピュトー・グループ」では、末弟のマルセル・デュシャンをはじめとするサロン・キュビスムの芸術家たちが集い、数字や科学などとキュビスムを理論的に結びつけようと研究が重ねられました。
運動のダイナミズムの表現は、 彼らの作品の大きな特徴のひとつ。ジャック・ヴィヨンの 《行進する兵士たち》では、人物たちの動きを連続する線で表現しています。
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会場風景

フランティシェク・クプカの《挨拶》、《色面の構成》といった作品では、動く人間のシルエットを連続的に捉え、複数の時間が同一画面内に描くことで人の動きが示されています。
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会場風景

彫刻におけるキュビスム表現を追求したデュシャン=ヴィヨンのレリーフでは、一組の男女がダイナミックな運動感をもって表されています。
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会場風景

1903年に創設されたサロン・ドートンヌは、装飾芸術の振興にも力を注ぎました。 1912年のサロン・ドートンヌでは、多くのキュビストが参加し、「メゾン・キュビスト(キュビスムの家)」が展示され、新たな時代にふさわしい装飾芸術として、キュビスムを建築や室内装飾へと展開する試みがなされます。キュビスムの作品を同じ展示室でまとめて公開するというこの試みは大きな話題となり、新聞や雑誌など様々なメディアで取り上げられました。
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会場風景

また、モンパルナスの集合アトリエ「ラ・リュッシュ (蜂の巣)」 には、フランス国外から来た若い芸術家たちが集うようになり、最先端の美術運動であったキュビスムを吸収しながら、 それぞれが独自の前衛的な表現を確立していきます。その中には、当時ロシア帝国領であったベラルーシから来たマルク・シャガール、ルーマニア出身のコンスタンティン・ブランクーシ、そしてイタリア人のアメデオ・モディリアーニらがいました。

故国ベラルーシからパリに出たばかりのシャガールは、キュビスムの鋭角的、断片的な表現やドローネーの鮮やかな色彩をいち早く取り入れ、独特の幻想的な絵画を描いています。本展では、初期の傑作《ロシアとロバとその他のものに》を含む、粒揃いのシャガールの絵画5点が展示されています。
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会場風景

彫刻でもキュビスムの影響を受けた作品が生まれます。ブランクーシは抽象的な表現を推し進め、最も影響力のある20世紀の彫刻家の一人となりました。《眠れるミューズ》は、男爵夫人をモデルにブランクーシが 彫った大理石彫刻をブロンズで鋳造した作品。 彼はこの主題に長く取り組み、次第に目鼻のない卵型の作品へと発展していきました。
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会場風景

モディリアーニはブランクーシとの出会いから一時彫刻に没頭。1912年のサロン・ドートンヌにおけるキュビスムの展示室に、石に彫られた頭部像の連作を出品しています。ブランクーシやモディリアーニは、 キュビスムとともにアフリカ美術から大きな影響を受け、シンプルなフォルムの前衛的な作品を展開しました。
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会場風景

キュビスムは、新たな表現を模索するすべての芸術家のモデルになり得ました。 それこそが、この運動が20世紀最大の事件だった理由なのです。

キュビスムの運動には、ロシアやウクライナといった東欧出身の芸術家が多く関わっていました。 
画家のみならず詩人や作家としても活動したエレーヌ・エッティンゲンは、 いとこのセルジュ・フェラとともに、大戦以前からキュビスム運動を支えました。モンパルナスのフェラのアトリエや彼らのアパートは、前衛芸術家たちが交流する拠点のひとつとなりました。
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会場風景

20世紀初頭のロシアでは、西ヨーロッパからもたらされた前衛的造形表現と、ロシア正教会のイコン(聖画像)や民衆版画といった、伝統的な民衆芸術や民間に伝わる様々なものとが結びつき、「ネオ・プリミティヴィスム」と呼ばれる運動が生まれました。ミハイル・ラリオーノフとナターリヤ・ゴンチャローワは、この運動を推進した画家たちです。さらにフランスのキュビスムとイタリアの未来派から影響を受けた「立体未来主義」が、この運動に加わり、彼らは、キュビスムの非再現的な画面構築と、都市や機械、そして工業といった未来派的なテーマとの融合を試みています。
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会場風景

1914年に勃発した第一次世界大戦は、ヨーロッパの様々な前衛芸術運動に多大な影響をもたらしました。フランス人芸術家の多くが動員され、前線に送られた一方、非交戦国スペイン出身のピカソやグリス、そして女性画家は大戦中のキュビスムを担います。
《戦争の歌》は、アルベール・グレーズが従軍中のスケッチをもとに、愛国的な歌を指揮する作曲家の姿を描いた作品です。
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会場風景

展覧会の最後は、キュビスム以後について紹介。
20世紀を代表する建築家のひとりル・コルビュジエは、機械文明の進歩に対応した新たな芸術運動として「ピュリスム(純粋主義)」を提唱します。彼はこの「機械の美学」 を建築へと応用させていきました。
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会場風景より、ル・コルビュジエの作品の展示

会場の国立西洋美術館は、ル・コルビュジエの設計により、1959(昭和34)年3月に竣工した歴史的建造物。本展はル・コルビュジエゆかりの美術館で彼の思想の発展段階をたどることができます。

レジェは、第一次世界大戦後はピュリスムの理念に共鳴しつつ、 近代社会のダイナミズム の表現を追求しました。 また壁画や舞台、映画の分野にも積極的に乗り出し、会場では、1924年に共同制作した実験映画、『バレエ・メカニック』の映像も見ることができます。
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フェルナン・レジェ《タグボートの甲板》1920年/ポンピドゥーセンター所蔵

ナレーション、音声ガイドは声優の三木眞一郎さん、伊駒ゆりえさんが担当し、やさしく丁寧にキュビスムの世界をナビゲート。まるで会場を一緒に回っているように、作品のみどころ、楽しみ方を案内してくれます。
出展作品をフルカラーで収録した展覧会公式図録は、日仏の研究者による充実の解説、コラムや、キュビスムの展開がよくわかる関連年表、主な作家の略歴なども収録された、キュビスムの教科書ともいえる保存版の一冊です。
図録
「パリ ポンピドゥーセンター  キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」展覧会公式図録

時代の流れに沿って作品を見ていくと、キュビスムは、絵画以外でも、彫刻やデザイン、写真や建築など多くの分野に影響を与え、表現の幅や可能性を劇的に広げた、とても影響力のある大きな芸術運動であったということがよくわかります。多彩な作品を実物で鑑賞できるのも本展の大きな魅力ですが、これだけの規模でキュビスムの傑作を見ることができる機会は今後もあまりないのではないでしょうか。この機会に、多くの作家を巻き込み、20世紀美術の新たな地平を開いたキュビスムの、豊かな展開とダイナミズムを、会場で感じ取ってみてください。
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フォトスポット

【展覧会概要】
企画展「パリ ポンピドゥーセンター  キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」
会期:2023年10月3日(火)〜2024年1月28日(日)
会場:国立西洋美術館
住所:東京都台東区上野公園7-7
開館時間:9:30~17:30(金・土曜日は20:00まで) ※入館はいずれも閉館30分前まで
休館日:月曜日(ただし、1月8日(月・祝)は開館)、12月28日(木)~2024年1月1日(月・祝)、1月9日(火)
観覧料:一般 2,200円、大学生 1,400円、高校生 1,000円
※中学生以下、障害者手帳の所持者および付添者1名は観覧無料
※高校・大学生、中学生以下、障害者手帳の所持者は、入館時に学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳を要提示
※観覧当日にかぎり、本展の観覧券で常設展を観覧可
展覧会公式サイト:https://cubisme.exhn.jp