企画展示「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」が、千葉・佐倉の国立歴史民俗博物館にて2023年10月3日(火)から12月10日(日)まで開催されます。
古代に成立した陰陽道は、その役割を広げながら、時代とともに多様に展開していきました。この展示では、あまり知られていない陰陽道の歴史とそこから生み出されてきた文化をさまざまな角度からとりあげて、具体的な史資料をもとに、明らかにしていきます。
また、安倍晴明は平安時代の実在した陰陽師ですが、陰陽道の浸透とともに、伝奇的なイメージが付け加わっていきます。陰陽道に携わる存在である陰陽師の姿を追うことで陰陽道の性質をとらえることも試みます。さらに陰陽師たちが担った暦の製作や形式、移り変わりの様子をたどることによって、人びとが陰陽道に求めたものを見ていきます。
【展示構成】
第1章 陰陽師のあしあと ~あらわれ、ひろがり、たばねられていくその姿
古代日本では、中国から伝わったさまざまな知識や技術をもとにして、古代国家の技術として成立した陰陽道。陰陽師はそれに携わる役職のことです。
やがて、陰陽道は方位や時間に関する吉凶を占うとともに、生活のいろいろな場面でその知識が利用されるようになっていきます。国家の公的な制度から貴族たちの私的な領域にまで、陰陽道が影響を与えるようになり、陰陽師は生活の節目において人びとに頼られる存在となりました。
やがて、陰陽道は方位や時間に関する吉凶を占うとともに、生活のいろいろな場面でその知識が利用されるようになっていきます。国家の公的な制度から貴族たちの私的な領域にまで、陰陽道が影響を与えるようになり、陰陽師は生活の節目において人びとに頼られる存在となりました。

「周易伝義」 江戸時代 国立歴史民俗博物館蔵
古代の中国から伝わった陰陽五行説や易、道教などの知識をもとに、日本の律令体制のなかで陰陽道は形成されていきます。陰陽師たちは、そうした中国伝来の知識を、日本の生活とつき合わせて暦を作り、占いやまじないを行いました。奈良の陰陽師で暦師でもあった吉川家には易の専門書も伝えられていました。
貴族ばかりではなく、武士たちも幕府を作り政治を行うなかで陰陽道を取り入れ、陰陽師の判断が政治に影響を与える場面が増えていきます。天皇や将軍をとりまく儀礼を陰陽師がつかさどり、その知識や判断は重要視されました。
さらに陰陽道は仏教や神祇信仰とも重なりあって発展し、戦国時代になると陰陽道は日本列島各地にも伝えられ、暦や天文以外にも、占いやまじないをはじめとする知識を持つ陰陽師が活躍するようになりました。

「応長二年仮名暦」鎌倉時代 国立歴史民俗博物館蔵
応長二年(1312)の暦を仮名で記したもの。干支や日々の吉凶が記され、その日の出来事を書き込んで、日記のようにも使われていました。裏には経典とその研究が記されていることから寺院で用いられていた可能性があります。

「占術・暦注雑書」16~17世紀 国立歴史民俗博物館蔵

「占術・暦注雑書」16~17世紀 国立歴史民俗博物館蔵
陰陽師が占いや暦に関するさまざまな知識をいろいろな機会に書き留めておいたもの。この資料は室町時代の守護大名にかかわる文書の裏を用いて記されており、紙が貴重であったために再利用されたと思われます。
近世に入ると陰陽師たちは、安倍晴明の子孫である土御門家を中心に組織化され、統制されるようになります。天皇や将軍、大名などを支える役割をはたす一方で、占いや祭りを行い、呪符や神札を配ることで生活の安寧を祈りました。そうしたなかで多様に変化した陰陽道の知識や感覚は、書物などのかたちとなって広がっていくようになります。

天曹地府祭図 安永10年(1781) 国立歴史民俗博物館蔵
江戸時代に天皇の即位や将軍の宣下(せんげ)の際に陰陽師が執行した祭事の概略図。
陰陽師たちの身分や役割は時代とともに変化しましたが、時代をこえて陰陽師たちが担った仕事も数多くあります。暦の製作の他にも方角や日時をめぐる吉凶の判断や災いをさけるための工夫などは、社会のなかに組み込まれ、ふだんの生活のなかでも重みを持っていました。陰陽道は、日本文化の重要な要素でもあったのです。

「鎮宅祭次第」江戸時代 国立歴史民俗博物館蔵
陰陽師が用いた、陰陽道の神々の名を記した呪符。また雪隠(トイレ)に用いる人形や呪符も書かれています。
陰陽道は、やがて庶民にも広がっていきます。かまどの神をはじめとする日常の祭りはさまざまな場面で行われ、特に疫病とそれをつかさどる神霊の祭祀は重視されました。江戸時代になると、陰陽道を起源とするまじないや占いが書物となり、多くの人びとに利用されるようになっていきました。

「大ざつしよ」寛永8年(1631) 国立歴史民俗博物館蔵
「大雑書」はさまざまな暦や占いの知識を集成し、わかりやすく読み下したもので、近世を通じてくり返し出版され、生活日用百科となりました。これは現存最古のもの。
土用というと、現代では夏の丑の日の時期にウナギを食べる日として知られていますが、四季それぞれ土用があり、本来は土にふれることを避ける日でした。展示では陰陽道からみた土用のいわれについても紹介しています。
第2章 安倍晴明のものがたり ~実像から虚像まで
安倍晴明は平安時代に実在した陰陽師です。やがて晴明の事績がクローズアップされ、いろいろな説話となり、陰陽師のシンボル的な存在となりました。
晴明のさまざまな伝承は説話は、現代においても小説やマンガ、映画などの題材として親しまれています。

東北院職人歌合「陰陽師」室町時代 国立歴史民俗博物館蔵
中世にさまざまな職業の人びとが和歌を競い詠んだ、という趣向のもとに描かれた職人歌合。「陰陽師」は「医師」と組み合わされており、祭壇に祈りを捧げる姿が描かれています。
中世に成立した陰陽道の知識を集成した書物。陰陽道や暦が、牛頭天王(ごずてんのう)、盤牛王(ばんごおう)といった神々の物語と結びつけて説かれています。

陰陽師と式神・外道 復元模型 国立歴史民俗博物館蔵
「泣不動縁起」の一場面を立体化したもの。祭壇にむかって祭文を読み上げる陰陽師とそのまわりには式神、外道たちが坐っています。
第3章 暦とその文化 ~時間の可視化とその意味
陰陽師のもっとも大切な仕事のひとつとして暦の製作と配布があります。古代・中世社会においては朝廷を中心に暦が作られ、陰陽師がその担い手でした。近世になると暦の製作に幕府も関与するようになり、その精度を維持することは重要な課題とされました。
ここでは近世の奈良における暦師・陰陽師であった吉川家を中心に、その活動や近世の暦とその背景を探ることで暦に求められたことは何であったのかを考えます。さらに目に見えない時間をどう表現するか、という暦の工夫や趣向についても見ていきます。

渾天儀(こんてんぎ) 江戸時代 国立歴史民俗博物館蔵
もともとは天体の位置を観測して暦を作るための器械ですが、近世には太陽と月の動きを説明するために用いられました。天体の見かけ上の動きを立体的に示すような構造で、中心には地球が置かれ、その周囲には天の赤道や黄道、月の軌道を示す白道などの輪が取り付けられています。

「明治六年癸酉頒暦(きゆうはんれき)」 明治5年(1872) 国立歴史民俗博物館蔵
明治政府は、当時用いられていた天保暦を廃し、グレゴリオ暦を採用することとし、明治5年12月3日を明治6年1月1日とします。この太陽暦採用は日本列島上の「時間」にとって大きな変革でした。これは既に天保暦(いわゆる旧暦)によって作成されていた暦の冒頭部分。
小説や映画で安倍晴明を知っていても、陰陽師の実態は詳しくは知らないという方も多いのではないでしょうか。本展は、確かな史資料にもとづいて、陰陽師のリアルな姿を明らかにし、その活動を知ることができる貴重な機会といえるでしょう。
小説や映画で安倍晴明を知っていても、陰陽師の実態は詳しくは知らないという方も多いのではないでしょうか。本展は、確かな史資料にもとづいて、陰陽師のリアルな姿を明らかにし、その活動を知ることができる貴重な機会といえるでしょう。
【展覧会概要】
名称:企画展示「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」
開催期間:2023年10月3日(火)~12月10日(日)※会期中展示替えを行います。
休館日:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は開館し、翌日休館)
会場:国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B
料金:一般1000円/大学生500円
※総合展示も合わせて鑑賞できます。
※高校生以下は入館無料。
※高校生及び大学生の方は、学生証等を提示すること。(専門学校生など高校生及び大学生に相当する生徒、学生も同様)
※障がい者手帳等保持者は手帳等提示により、介助者と共に入館が無料。
※半券の提示で、当日に限りくらしの植物苑に入場可。また、植物苑の半券の提示で、当日に限り博物館の入館料が割引になります。
開館時間:9時30分~16時30分(入館は16時00分まで)
※開館日・開館時間を変更する場合あり。
国立歴史民俗博物館ウェブサイト:https://www.rekihaku.ac.jp
お問い合わせ:ハローダイヤル 050-5541-8600
お問い合わせ:ハローダイヤル 050-5541-8600