妖艶で強烈な色彩の画風で、"京都画壇の異才”として近年注目が高まる甲斐荘楠音(1894-1978/かいのしょうただおと)。本展は、1997年以降26年ぶり、東京の美術館では初となる本格的な甲斐荘の回顧展です。
京都会場の様子は、こちらをご覧ください。本展は、絵画作品はもとよりスクラップブック・写真・写生帖・映像など、甲斐荘に関する作品やさまざまな資料を展示するとともに、画業にとどまらず、風俗考証家として時代劇の衣裳制作を支え、映画界に貢献した足跡も追い、絵画から映画へ自由に越境した彼の全貌を紹介します。
展覧会は序章「描く人」1章「こだわる人」2章「演じる人」3章「越境する人」終章「数寄な人」の5章で構成されています。
序章、1章では、主に画家としての甲斐荘について紹介します。
序章 描く人
序章では、《幻覚(踊る女)》や《秋心》、《横櫛》など、甲斐荘の代表的な作品を通じて、日本画家としての甲斐荘が何をどのように描き、そしてどのような画家として捉えられてきたのかをたどっていきます。

右《白百合と女》大正9年(1920) 個人蔵
左《女人像》 大正9年頃(c. 1920)個人蔵
京都に生まれ育ち京都市立絵画専門学校で図案と日本画を学んだ甲斐荘は、美しさと醜さが入り混じる人間の生々しさを巧みに描写し、見る者をどこか怖い魅力に引き込むような女性像で、戦前の日本画壇で高い評価を得ました。
土田麦僊や村上華岳らが結成した新しい表現を追求する美術団体「国画創作協会」の会員となり、協会の中でも個性派として大正期から昭和初期に活躍しますが、協会解散後に結成した新樹社の自然解消や、戦争の拡大によって次第に画壇から遠ざかり、1940年頃に画業を中断したこともあって、長らくその成果が顧みられることはありませんでした。
しかし1970年代半ばから再評価の機運が高まり、没後20年を経た1997年に開催された回顧展で日本画家としての活動の全貌が初めて紹介され、近年は「京都画壇の異才」として彼の強烈な個性は広く知られるようになってきています。

左から《秋心》大正6年(1917 )京都国立近代美術館、《遊女》大正4年頃 (c.1915)京都国立近代美術館、 《太夫と禿》 大正元年頃 (c.1912)京都国立近代美術館
展示作品の多くは女性を描いた美人画です。
甲斐荘は、“美人画 を描くなら女の気持ちになって描かなければならぬ”と、モデルのスケッチと同時に自らも女になって、人間の柔らかさや、温度、匂いまでも描き出そうとしました。
彼の代表作《横櫛》は、第1回国画創作協会展に出品され、一躍注目を浴びることになった出世作です。
《横櫛》のタイトルは、歌舞伎の演目から来ています。描かれているのは物語の主人公の女性で、体中に切り傷があることから、通称「切られお富」と呼ばれていました。
中央の京都国立近代美術館の《横櫛》の女性の顔をよく見ると、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》のように陰影に富んでいます。しばしば「あやしい」「不気味」という印象で語られることもある甲斐荘の美人画ですが、この西洋画由来の写実的で、陰影のある表現がある種の不気味さに繋がっていると考えられます。
背景にある牡丹図は中国・北宋時代の画家・趙昌の作品を模写したもの。背景に中国絵画を、顔に西洋絵画を引用した本作は、国内外の古典の研究を踏まえて、新しい表現を模索しようした彼の実験的な野心作ともいえます。

左《舞ふ》大正10年(1921)京都国立近代美術館
背景にある牡丹図は中国・北宋時代の画家・趙昌の作品を模写したもの。背景に中国絵画を、顔に西洋絵画を引用した本作は、国内外の古典の研究を踏まえて、新しい表現を模索しようした彼の実験的な野心作ともいえます。

左《舞ふ》大正10年(1921)京都国立近代美術館
中央《横櫛》大正5年頃(c.1916)京都国立近代美術館
右《横櫛》大正7年 (1918) 広島県立美術館 展示期間:7/1~7/30
この2作はどちらも背景は闇で、人物の顔に陰影が施され、微笑んでいるだけによけいに怖さを感じます。
右《春宵(花びら)》 大正10年頃 (c.1921)京都国立近代美術館
左《悪女菩薩》大正13年頃(c.1924)個人蔵
《幻覚 (踊る女)》も印象的な作品。揺れる灯に照らされて、憑かれたように踊る芸者の目の周りは赤く縁どられています。背景の不気味な手の影や、炎のように女性の体にまとわりつく緋色の長襦袢が、ある種の錯乱の気配を感じさせ、甲斐荘はやっぱりアブナイ人だったのでは・・?と思えてしまうほどです。

展示風景より、(右)《幻覚 (踊る女)》大正9年頃(c.1920) 京都国立近代美術館
同時期に活躍した日本画家・土田麦僊は、甲斐荘の絵は「穢(きたな)い」と批判したこともあったといわれています。麦僊の目指す日本画とは方向が異なっていたということなのかもしれません。
少年時代からレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど西洋の美術に心惹かれていた甲斐荘は、様々な西洋画家を研究し、その美を取り込んだ新しい日本画を目指しました。彼は「私は一つの絵に色々の事を盛ろうとしました。それがその頃の絵の特色でした。私も生意気にそれに追従したのでしょう」と後年に述べています。
新しい日本画を模索した甲斐荘。中断することなく生涯画家として活躍していたら、どのような絵を描いていたでしょうか。
少年時代からレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど西洋の美術に心惹かれていた甲斐荘は、様々な西洋画家を研究し、その美を取り込んだ新しい日本画を目指しました。彼は「私は一つの絵に色々の事を盛ろうとしました。それがその頃の絵の特色でした。私も生意気にそれに追従したのでしょう」と後年に述べています。
新しい日本画を模索した甲斐荘。中断することなく生涯画家として活躍していたら、どのような絵を描いていたでしょうか。
甲斐荘の作品は着物の模様にもこだわりが感じられます。例えば京都国立近代美術館蔵の《横櫛》では、長襦袢の模様を見ると安珍清姫伝説の清姫をイメージさせるような怪物と火焔が散らされており、襦袢の襟には天女が描かれ、細部まで手を抜かないこだわりを見ることができます。
京都の裕福な家庭に生まれ、幼いころから雛人形など雅なもの、美しいものを好んでいたという甲斐荘。その頃から培ったこだわりやセンスが絵にも反映されているように思えます。
単純な美しさだけでは語れない、魅力にあふれた甲斐荘の作品をこの機会にぜひじっくりご覧ください。第1章 こだわる人
甲斐荘は芝居で観たものをスケッチしたり、 俳優の写真をスクラップしたり、役で女装した自らを撮影したりと、演じる行為や動く身体に一貫して関心がありました。そうした生涯貫かれた美的感覚や、表現への探求心が彼の絵画での活躍に活かされました。
本章では、日本画、スケッチ、写真資料から、表現の源泉となった甲斐荘のこだわりに迫ります。

展示風景より、甲斐荘のスケッチの展示
国画創作協会解散後、甲斐荘が新たな活動の場とした絵画団体「新樹社」の第1回に出品された意欲作《春》は、長らく行方不明でしたが、近年、メトロポリタン美術館に収蔵されました。甲斐荘没後の日本では初公開となります。

女性は和服を大胆に着崩し、モダンな髪型にしています。良家の若い女性がくつろいでいる様子を描いているようにも見え、大正期の耽美な美人画表現の余韻はあるものの「あやしい」「不気味」な雰囲気は感じられません。背景は金を基調として華やかに、女性の衣服はピンク、水色など淡い色彩で描かれ、全体的に洗練された、明るい印象の作品となっています。甲斐荘絵画の転換期の作品として、今回必見の1枚です。

左《歌妓》大正15年(1926) 個人蔵(京都国立近代美術館寄託)

《春》昭和4年(1929)メトロポリタン美術館、ニューヨーク
Purchase, Brooke Russell Astor Bequest and Mary Livingston Griggs and Mary Griggs Burke Foundation Fund, 2019 / 2019.366
女性は和服を大胆に着崩し、モダンな髪型にしています。良家の若い女性がくつろいでいる様子を描いているようにも見え、大正期の耽美な美人画表現の余韻はあるものの「あやしい」「不気味」な雰囲気は感じられません。背景は金を基調として華やかに、女性の衣服はピンク、水色など淡い色彩で描かれ、全体的に洗練された、明るい印象の作品となっています。甲斐荘絵画の転換期の作品として、今回必見の1枚です。

左《歌妓》大正15年(1926) 個人蔵(京都国立近代美術館寄託)
右《春》昭和4年(1929)メトロポリタン美術館、ニューヨーク
甲斐荘は、同じ形、ポーズを繰り返し執拗に描き、その微妙な変化を探求しました。同じポーズのモデルを何枚も描写したスケッチからは、生の人間へ向ける甲斐荘の真摯な眼差し、動作による肉体の変動を観察し、最も匂やかな官能表現を探ろうとする強い思いが感じられます。《春》と似たポー ズを描いたスケッチも複数残っており、洋服を着たモダンな女性や、半裸の女性などそのヴァージョンはさまざま。甲斐荘が丹念に官能的イメージを探求したことが分かります。彼が所持していた絵はがきにも似たポ ーズの京劇の女形名優・梅蘭芳(メ イ・ランファン)の姿を見ることができます。

展示風景より、甲斐荘のスケッチの展示
《山姥》のためのスケッチは、一見どれも似ていますが、よく見ると身体の各部位のポーズに変化をもたせて表現の選択肢を探り、組み合わせ方を様々に試行錯誤していたことがわかります。全体のポーズは決まっていても、細部をどう調整すれば官能性が最も発揮されるのか。それを甲斐荘は執拗に実験して研究しました。

展示風景より、《山姥》のためのスケッチ 個人蔵
そして甲斐荘は、裸を「肌香」と言い表すなど、肉体の美を形だけではなく肌の匂いまで含めた官能の総合性において捉えようとしました。
その言葉を記した紙片は、《籐椅子に凭れる女》関連とみられるスケッチ集の中に見出されます。
画家として科学者のように観察と探求を試み、哲学者のように深く思索していたことがこうしたスケッチからうかがえます。

左《籐椅子に凭れる女》 昭和6年頃 (c.1931)京都国立近代美術館
右《籐椅子に凭れる女(下図)》京都国立近代美術館
さらに近年、彼の関心を探るうえで極めて重要な60冊以上に及ぶスクラップブックが発見されました。政治家、芸能人、作家、画家、プロ野球選手、仏像、能面などそこにはさまざまな人物、モノが登場し、彼の興味、関心の対象を知ることができるとても興味深い資料です。

展示風景より、スクラップブックの展示
第2章 演じる人
甲斐荘が人物像にこだわった理由のひとつには、芝居への関心の高さが関係しているのかもしれません。
幼少から歌舞伎を好んだ彼は、画学生の頃には四条大橋の南座などの劇場に通い、 役者たちの動作、表情、衣裳についての感想を絵にしています。これによって養われた見識は日本画制作や映画界における活動にも役立ったと思われます。本章ではこれまでほとんど注目されてこなかった、扮すること、演じることへの思いを、さまざまな資料から浮かび上がらせていきます。

展示風景より
生涯を通じて芝居に特別な関心を抱いていたという甲斐荘。本章で展示されている作品は、歌舞伎などの演目をテーマにしたものが多く、会場では観劇した舞台の様子や衣裳や役者の表情などを熱心に描き留めたスケッチが大量に展示されています。

展示風景より、観劇の記録を書き留めたスケッチの展示
なかでも甲斐荘が夢中になったのは、歌舞伎の女形でした。
彼が遺した膨大な写真資料には遊女や女形に扮した彼の肖像も多数含まれ、中には彼の作品に登場する太夫や娘を連想させるものもあります。例えば、《桂川の場へ》は甲斐荘が贔屓にしていた女形が演じた女性「お半」を描いたものですが、甲斐荘は自らこのお半に扮してポーズをとった写真も撮影しており、甲斐荘の描く女性は美人に扮した彼の自画像でもあったように思われます。

左《桂川の場へ》 大正4年(c.1915) 京都国立近代美術館
右《文楽之図》 昭和2年頃(1927)京都国立近代美術館
西洋美術と日本美術を融合させ、美術界と映画界という異なる分野で活躍した甲斐荘。彼がこのように境界を軽々と越えることができたのは、歌舞伎や芝居を愛し、演じることや扮装することを好んだ人だったからかもしれません。
絵画で演じる人・甲斐荘を表現した彼は、芝居を描く側から作る側へ越境し、映画界では美しい男女の俳優たちを華麗な衣裳で飾って表現したのです。
絵画で演じる人・甲斐荘を表現した彼は、芝居を描く側から作る側へ越境し、映画界では美しい男女の俳優たちを華麗な衣裳で飾って表現したのです。
第3章 越境する人
甲斐荘は1940年代初頭に画業を中断し、絵画制作や古典芸能の鑑賞で培われた素養と見識を買われ、映画の世界へ身を投じ、溝口健二ら時代劇映画の名監督たちの時代劇の風俗考証に携わるようになりました。監督たちから厚い信頼を得て、衣裳デザインも手掛け、美男美女たちが演じるドラマを、画家ならではのセンスで華やかに彩りました。
本章では、太秦の東映京都撮影所に保管されていた市川右太衛門の衣裳を中心に、甲斐荘の映画人としての側面を紹介します。

展示風景より、甲斐荘が関わった作品の紹介パネル
昭和15年(1940)頃、映画監督の溝口健二と出会った甲斐荘は、映画の時代風俗考証の役目を依頼されます。
溝口監督による映画『雨月物語』は大ヒットし、甲斐荘の衣裳デザインはアカデミー賞にノミネートされるなど海外でも高い評価を受けした。
本展ではその衣裳や賞状も映画のポスターなどとともに展示されています。

展示風景より、映画『雨月物語』関連の展示
甲斐荘が活躍したのは、市川右太衛門(俳優・北大路欣也さんの父)や中村錦之助、高田浩吉といったスターが活躍する時代劇全盛期。映像もモノクロからカラーへ移行する時代で、より画面映えし観客を惹きつける娯楽性の高い作品が求められていました。甲斐荘は、豪華な衣裳を次々に考案し、時代劇映画の全盛期を演出したのです。
映画制作の現場では、台本を読みながら絵を描き始め、物語のイメージを豊かに膨らませてそれを絵として伝え、衣裳担当や美術担当の仕事を方向づけました。
会場では、甲斐荘がデザインを手掛けた贅を尽くした映画衣裳が、実際にその衣裳を使用した映画のポスターやチラシ、スチル写真などと併せて展示されています。展示室を埋め尽くすような、華やかな衣裳は圧巻のひとこと!甲斐荘が描いた衣裳の下絵や役者と衣裳合わせをする写真なども展示され、映画人・甲斐荘の活躍を多角的に知ることができます。

展示風景より、甲斐荘が関わった映画のポスターや、スタッフ会議の写真、衣裳の下絵などを年代順に紹介
展示されている衣裳のデザインにも注目。1959(昭和34)年の正月に公開された映画「旗本退屈男 謎の南蛮太鼓」で主演の市川右太衛門が着用したトビウオが海を飛び交うデザインの衣裳は、川端龍子の《黒潮》(1932年頃、山種美術館蔵)に背景色やトビウオの描き方がよく似ており、近代日本画も参考にしたとも考えられます。


ほかにも伝統的な文様を配したり、琳派の絵画作品を思わせるものがあったり、現代風、西洋風など、さまざまなデザインがあり、甲斐荘の芸術的な知識の広さと深さがうかがえます。甲斐荘は役者の動きも含め映像の中でいかに映えるか、着こなしのイメージまで考慮してデザインしていたといい、色鮮やかで大胆な意匠は、彼の表現へのこだわりを感じさせます。

会場には、展示されている衣裳が登場する時代劇作品の一部を観ることができるスペースもあります。華やかな衣裳での殺陣のシーンは昭和の時代劇ファンならずとも魅了されます。動きがつくことで展示とは違った見え方で楽しめ、魅せ方もよく考えて衣裳がデザインされ、さらに動きやすく、かつ激しい動きにも耐えるように設計されていることがわかります。
映画の衣裳は、撮影後はほどいて布を別の衣裳に転用したり再利用することが多いそうですが、甲斐荘の衣裳は東映の重役でもあった市川右太衛門の強い意向もあり大切に保管され、今回の展示公開とつながったといいます。

近年の研究によって甲斐荘が携わった映画は東映、松竹、大映合わせて236本あることが明らかになっており、日本の時代劇映画において甲斐荘の果たした功績は大きいといえます。彼が手がけた数々の映画衣裳は、映画を観に来た何億人もの人々の目に触れ、衣裳を纏ったスターとともに、多くの人々に愛されたのです。
終章 数奇な人
映画人として活躍する間も、彼の絵画への思いは続いていました。終章では、そんな甲斐荘の生きざまを象徴する大作が並んでいます。
《畜生塚》は豊臣秀吉が養子である秀次を自害させ、その幼児や妻、妾など約30人を処刑して三条河原に埋めた史実を題材にした作品。処刑を待つ女たちの長い手足や陰影の際立つ顔立ち、筋肉が隆起したたくましい体躯は、甲斐荘が青年期に傾倒したレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの影響がうかがえます。
《畜生塚》にはモデルにポーズを取らせた草稿やスケッチなどが遺されており、入念な構想の跡を見ることができます。

《畜生塚》大正4年頃(c.1915)京都国立近代美術館
彼はこの作品を描くに当たっても、自らモデルとしてポーズをとり、画中の女性になりきって表現しようとしました。

展示風景より、《畜生塚》のポーズをとる甲斐荘の写真
竹林に集い文雅の交わりをした、古代中国の七人の隠士 「竹林七賢」は、 多くの絵師が取り組んできた画題です。甲斐荘は、その伝統的な画題を、7人の女性が美しさを競う (妍を競う) 「七妍」の姿にやつして描きました。金箔を背景に豪華絢爛(けんらん)な衣裳を纏った7人の美しい太夫たちが並ぶ、静かで不思議な雰囲気のこの作品は、若い頃に描き始め、晩年まで筆を入れ続けていたそうです。

《虹のかけ橋(七妍)》大正4~昭和51年 (1915-76)京都国立近代美術館
甲斐荘の原点にして、未到の終着点となった2つの大作。ここでは彼が生涯を賭して見極めようとし美の世界に思いを馳せることができます。
ミュージアムショップでは本展の公式図録も販売中。日本画の名作群からスケッチやスクラップブック、写真などの豊富な資料、そして東映太秦映画村に保管されていた豪華絢爛な時代劇衣裳まで、多彩な展示作品で「甲斐荘楠音」という表現者の越境性と多面性に迫る本展の魅力が詰まった一冊です。

税込価格 3,200円/サイズ A4変形判/ページ数 312ページ
他にも出展作品をモチーフにしたオリジナルグッズが用意されています。
他にも出展作品をモチーフにしたオリジナルグッズが用意されています。

大正画壇の異才にして、時代劇映画の陰の立役者。そして芝居を愛し、演劇に通じた趣味人でもあった甲斐荘。表現者としてのみならず、生き方としてもあらゆる既成概念を越えた彼の「越境性」を明らかにする本展は、現代を生きる私たちにも少なからぬ示唆を与えてくれるように思えます。
その鮮烈な個性と多彩な顔をもった生きざまに、ぜひ触れてみてください。
【開催概要】
会期 2023年7月1日(土)~2023年8月27日(日)
※会期中、一部作品の展示替えあり[前期7/1~7/30、後期8/1~8/27]
会場 東京ステーションギャラリー
住所 東京都千代田区丸の内1-9-1(JR東京駅 丸の内北口 改札前)
時間 10:00~18:00(金曜日~20:00) *入館は閉館30分前まで
休館日 月曜日[7/17,8/14,8/21は開館]、7/18(火)
観覧料 一般1,400円 高校・大学生1,200円 中学生以下無料
※障がい者手帳等持参の方は100円引き[介添者1名は無料]
※当日券は、東京ステーションギャラリー1階入口にて販売
東京ステーションギャラリー公式サイト https://www.ejrcf.or.jp/gallery
※都合により開催内容が変更になる場合があります。
※本展は、京都国立近代美術館で開催(2023/2/11~4/9)の「開館60周年記念 甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性」の巡回展です。内容は一部異なります。...