企画展「北斎 大いなる山岳」が、東京・両国のすみだ北斎美術館にて開催中です。
北斎は、日本一の高さを誇る富士山をはじめ、江戸時代にできた人工の低山・天保山など、全国各地の様々な山を描いていますが、北斎の作品には自然の風景だけでなく、山に登る人々の様子や山での暮らしや生業を描いたり、山にまつわる伝説からインスピレーションを得た作品など、さまざまな要素を見ることができます。このような北斎の制作背景には、古来より信仰や生業のために山に登ってきた日本人と山との深い繋がりが関係しています。
企画展「北斎 大いなる山岳」では、「冨嶽三十六景」など、北斎の描いた山の作品の中から、山の信仰、生業、伝説や怪談など山にまつわるさまざまな作品を紹介。北斎の描いた多彩な山の表現を通して日本人と山の関わりを見ていきます。
※会場内は撮影禁止です。展示室の写真は美術館の許可を得て撮影したものです。プロローグ〈登山口〉 日本人と山
近代登山が始まる遥か以前から日本人は山に登ってきました。縄文時代にも登山の事例が確認されていますが、娯楽やスポーツとしての登山は、主に近代に入ってからで、それより前は、富士講や大山講、立山講など、山をご神体として崇拝する山岳信仰のための宗教登山がほとんどでした。プロローグでは、北斎作品の背景にある日本人の信仰と山との関係をたどっていきます。
本作は富士山を崇拝する山岳信仰・富士講(ふじこう)の信者が、富士山頂で御鉢廻りをする様子を描いたもの。御鉢廻りとは、火口を囲むように山頂を縁取る 8 峰を一周することです。ゴツゴツした岩肌に施された中央の陰影が、火口の深さを物語ります。
葛飾北斎《冨嶽三十六景 諸人登山》 天保2年(1831)頃(前期:後期はパネル展示)
右は山開きに詰めかけた信者の様子、左は下山道の砂走りと呼ばれる細かい砂が積もった道を滑り降りて行く様子を描いています。特に砂走りの人物たちはスピード感のある表現で、北斎による優れた人物描写が見どころです。
葛飾北斎《『富嶽百景』初編 不二の山明キ 辷リ》(通期)
ピラミッド形の山容が特徴的な大山と、丹沢山地越し望むに富士山を描いた作品。江戸時代は大山講の信仰登山が盛んで、本作には土地の人々に交じって、宗教に関わる旅人の姿も描かれています。
葛飾北斎《冨嶽三十六景 相州仲原》天保2年(1831)頃
木曽街道(中山道)のほか、甲州街道、日光街道など複数の街道などを鳥瞰図法にて描いた北斎の《木曽路名所一覧》はすみだ北斎美術館では初公開の作品。左下に起点の江戸、右中央に浅間山、江戸の上に木曽、中央上に終着点の京都と、蛇行するように配置され、図中に山名が明記されるものは、ほとんどが信仰の対象となる霊山です。江戸時代は、信仰と旅はセットで、著名な寺社・霊山へ向かう道も整備されました。
1合目 富士山から低山まで―北斎さまざまな山を描く―
日本の最高峰・富士山をはじめ、北斎一門はさまざまな山を描いています。本章では、「冨嶽三十六景」シリーズをはじめ、日本各地の山を描いた作品をエリアごとに紹介し、北斎一門が工夫をこらした多彩な山岳表現を見ていきます。
代表作『冨嶽三十六景』や全国の有名な橋を描いたシリーズ「諸国名橋奇覧」のほか、『北斎漫画』などに描かれた山をモチーフとしたさまざまな作品を楽しむことができます。
富士山は、山梨県と静岡県の境に位置する日本の最高峰です。古くから信仰の対象となり、特に江戸時代は富士講が盛んになりました。
本図は赤く染まる富士の山体から「赤富士」の名で親しまれている有名な作品。「凱風」とは南から吹いてくる夏のそよ風のこと。鱗雲が浮かぶ快晴の空の下、富士山の山肌が次第に赤みを増していく様子が、シンプルな配色と大胆な構図で見事に描き出されています。
葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》天保2年(1831)頃(作品を替えて通期展示)
江戸の低山では、花見の名所であった御殿山(北品川)、江戸時代恰好のビュースポットであった愛宕山(港区)、寛永寺の堂宇や五重塔が並ぶ花見の時期の上野山(台東区)などを描いた作品が紹介されています。
展示風景より、江戸の低山を描いた作品
「勝景雪月花」は江戸・京・大坂の雪月花の名所を描いた、鮮やかな色彩が特徴の全9図からなるシリーズ。 王子の飛鳥山を描いた本作は、満開の桜のもと、 思い思いに花見を楽しむ人々の様子が描かれています。
葛飾北斎《勝景雪月花 東都飛鳥の花》文政(1818-30) 末〜天保(1830-44) 初年頃(前期)
関東の山々では、榛名山や妙義山といった群馬県の山々や、千葉県の鋸山などを描いた作品が紹介されています。
展示風景より、関東の山々を描いた作品
行道山浄因寺(栃木県足利市)は、和銅6年(713)に行基上人の開創と伝えられる名刹で、本作ではその全景が右頁下段に描かれています。「登山好き学芸員の現地レポート」によると「行道山は紅葉の時期がオススメです!」ということです。
筑波山は、「西の富士、東の筑波」と、富士山と並び称される筑波山地の主峰で、中腹ある筑波神社には、多くの参拝客が訪れます。富士山とともに江戸から見える山の代表として描かれることも多く、左の浅草寺一帯を描いた作品も左上に筑波山を見ることができます。
展示風景より:(左)魚屋北溪《東都金龍山浅草寺図》文政(1818-30)後期~ 天保(1830-44)初期(作品を替えて通期展示)
中部の山々では、現在の山梨県や長野県のさまざまな場所から富士を望む風景や、八ヶ岳などを描いた作品が紹介されています。
展示風景より、中部の山々を描いた作品
身延山に源流を持つ身延川と川沿いの道を久遠寺方向へ進む人々が描かれた作品。岩山の間には冠雪した富士山が描かれています。
葛飾北斎《冨嶽三十六景 身延川裏不二》 天保2年(1831)頃(前期)
近畿の山々では、京都・嵐山や、現在の大阪市港区にある人工の山・天保山などを描いた作品が並びます。天保山は、満開の桜を見物する多くの人出で賑わう様子が描かれており、当時最新の観光スポットとして人気があったことがわかります。
展示風景より、近畿の山々を描いた作品
桜の咲き誇る奈良の吉野山、高峰(高見山)、音羽山を一望に捉えたこの屏風は、二代北斎を襲名した鈴木氏の作と考えられています。元絵は谷文晁の名山真景図集『名山図譜』掲載の「高峰」で、葛飾派の絵師が流派を超えて、文晁の絵に影響を受けていたことがわかります。
桜の咲き誇る奈良の吉野山、高峰(高見山)、音羽山を一望に捉えたこの屏風は、二代北斎を襲名した鈴木氏の作と考えられています。元絵は谷文晁の名山真景図集『名山図譜』掲載の「高峰」で、葛飾派の絵師が流派を超えて、文晁の絵に影響を受けていたことがわかります。
(右)二代葛飾北斎《倣文晁山水図屏風》
『名山図譜』は、北海道から九州までの88座90図を収載する、谷文晁による我が国初の名山図集で、屏風の左にこの図集も展示されています。見比べると二代北斎は山々の形や全体的な構図は参考にしつつも、瀟洒な感じが加わり、柔らかな印象の独自の風景画として描いていると感じました。
四国・中国・九州の山々では、『諸国名橋奇覧』シリーズの1図で、山口県岩国市の錦帯橋その背後の山を描いた作品などが紹介されています。
展示風景より、四国・中国・九州の山々を描いた作品
2 合目 山のくらし
北斎は山の姿だけではなく、木こり、猟師、金山の採掘など山中で働き暮らす人々や、山麓での営みも描いています。本章では、北斎とその一門による山のくらしを描いた作品の数々を通して、山ならではの危険と隣り合わせの仕事の様子や、風景だけではなく人々にも注がれた北斎のまなざしをたどります。
展示風景より
山中での木挽の様子を描いた右の作品は、材木と支柱がかたち作る三角形が富士山と相似形になっており、構図の面白さも見どころです。左は山間の吊り橋を荷物を担いだ人々が渡っている様子を描いたもの。手すりもない吊り橋を実際に渡ることは困難で、北斎が山中の労働を険しく危険なものと想像して描いていたことがうかがえる作品です。
(右)葛飾北斎《冨嶽三十六景 遠江山中》 天保2年(1831)頃(前期) 、(左)葛飾北斎 《諸国名橋奇覧 飛越の堺つりはし》天保5年(1834)頃(前期)
ここでは、山で伐り出した材木を流して運ぶ「管流し」や、「籠渡し」 と呼ばれる運搬方法で柴を籠で運ぶ男性、山中での猟の様子や、山深い金山で働く坑夫たちの姿など、当時の山で働くさまざまな人々の姿を見ることができます。
岩茸は、山菜や漢方として珍重される地衣類(ちいるい)で、人が容易に近づけないような険しい岩場に生えることが多い品種です。右の作品では、ロッククライミングのように岩場に登る女性や、吊り下げられた篭に乗って岩茸を採取する女性を描いています。
山梨県は江戸時代から煙草の名産地として知られていました。左の作品では馬の背後に吊るされた煙草の葉と山梨県側からみた富士山が描かれています。
(右)『北斎漫画』十三編 岩茸取 嘉永2年(1849)、(左)葛飾北斎『富嶽百景』初編 裏不二(明治版)明治9年(1876)いずれも通期
3 合目 山と伝説 ―山怪―
山は神聖な場であり、異界あるいは異界への入口であるため、不思議な存在がいると信じられてきました。それゆえに、山男や山姥、天狗、鬼をはじめとした山の怪奇な存在、さまざまな山にまつわる伝説や怪談が伝えられています。本章では、北斎と一門の作品を通して、山の怪や山に伝わる伝説、またそれらをモチーフとした物語を紹介します。
展示風景より、大江山の酒呑童子、足柄山怪童丸(金太郎と同じく坂田金時の幼名)、鎌倉幕府二代将軍・ 源頼家に仕えた仁田四郎忠常が、主君の命で富士の人穴を探索する様子を描いた作品などの展示
右頁から左頁にかけて、深山に住む伝説上の生物「天狗」(烏のような嘴を持っているので、烏天狗)、猿が大型化したような妖怪「狒々(ひひ)」、「幽霊」、山奥に住む女性の妖怪「山姥(やまうば)」が描かれています。幽霊を除くと山に関係したものが多く、かつては山深い場所に妖怪の住む世界が広がっていると信じられていたと思われます。
葛飾北斎《『北斎漫画』三編 天狗 狒々 幽霊 山姥》 文化12年(1815)(通期)
葛飾北斎《『北斎漫画』三編 天狗 狒々 幽霊 山姥》 文化12年(1815)(通期)
高井鴻山(1806-83) は信州小布施の豪商農で、 京や江戸で一流の詩人・書画家・ 者らと交流し、北斎を小布施に招いたパトロンとしても知られています。 その鴻山の妖怪山水画は、山や岩など自然の風景に存在するあらゆるものに霊魂が存在するとする鴻山の自然観が表れており、そうした山の霊気を妖怪の形で表現したとも考えられています。
高井鴻山《妖怪山水図》19世紀(前期)
本展に合わせて、綴プロジェクト高精細複製画「富士田園景図」がホワイエに特別展示されています。富士山を奥に望む雄大な田園風景を描いた本作は、同じく富士をテーマとした「冨嶽三十六景」と同時期の1831年頃の作品と考えられています。複製とはいえ見事な出来栄え。写真撮影もOKです。
綴プロジェクト高精細複製画「富士田園景図」(原画:フリーア美術館蔵)(高精細複製画) 六曲一双
8 月11日の山の日にちなんで北斎が描いた山をしおりにしてプレゼントする企画や、夏休みキッズ企画として浮世絵の職人入門も予定されています。申込方法など詳細はホームページにてご確認ください。
1階のミュージアムショップでは、本展の出品作にちなんだオリジナルグッズも販売中。今回は山をモチーフにしたグッズがたくさん用意されています。展覧会の見どころをコンパクトにまとめたリーフレットも販売中です。8 月11日の山の日にちなんで北斎が描いた山をしおりにしてプレゼントする企画や、夏休みキッズ企画として浮世絵の職人入門も予定されています。申込方法など詳細はホームページにてご確認ください。
すみだ北斎ミュージアムオンラインショップが2023年4月にオープンしました!
すみだ北斎ミュージアムオンラインショップ:https://hokusai-museum.shop/
すみだ北斎ミュージアムオンラインショップ:https://hokusai-museum.shop/
本展出品作品に描かれた主な山は、前期・後期をあわせて30に及びます。キャプションでは展示作品解説のほか、「登山好き学芸員の現地レポート」などで山そのものについても詳しく紹介されており、日本各地の山々を北斎作品とともに旅するように楽しめます。
この機会に日本の山の自然の豊かさや、山とわたしたちの関わりについて考えてみませんか。
※文中のうち、所蔵先表記のない作品は、すべてすみだ北斎美術館蔵
※文中のうち、所蔵先表記のない作品は、すべてすみだ北斎美術館蔵
【開催概要】
『北斎 大いなる山岳』
開催期間: 2023年6月20日(火) 〜8月27日(日)※会期中、一部展示替えを予定
前期:6月20日(火)~7月23日(日)、後期:7月25日(火)~8月27日(日)
会場:すみだ北斎美術館
会場:すみだ北斎美術館
開館時間:9:30~17:30※入館は17:00まで
休館日:月曜日※7月17日(月・祝)は開館、7月18日(火)は休館
観覧料:一般1000円、高校・大学生700円、65歳以上700円、中学生300円
すみだ北斎美術館ホームページ:https://hokusai-museum.jp/