特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」が、東京・上野の東京国立博物館で9月3日(日)まで開催中です。
⑮チラシビジュアル

メキシコでは、前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻まで、3千年以上にわたり、多様な環境に適応しながら独自の文明が花開きました。火山噴火や地震、干ばつといった厳しい自然環境のなか、人びとは神への信仰と畏怖のもと、陵墓や大神殿、ピラミッドなど、壮大なモニュメントを築きました。
本展は、そのうち「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点をあて、メキシコ国内の主要博物館から厳選した古代メキシコの至宝を、近年の発掘調査の成果を交えて紹介します。

【展示構成】
第1章 古代メキシコへのいざない
第2章 テオティワカン  神々の都
第3章 マヤ  都市国家の興亡
第4章 アステカ  テノチティトランの大神殿

【各章のみどころ】
第1章 古代メキシコへのいざない
「メソ(核)アメリカ文明」とはメキシコ周辺で興った文明の総称で、スペインが大陸に進出してくる以前の文明全般を指しています。北米大陸は地理的にアジアやヨーロッパ、アフリカとの交流がなかったため、独自の文明が栄えました。
メソアメリカ文明に共通する特徴は、トウモロコシの栽培、太陽暦などの暦、ゴムのボールを使った球技、人身供犠などがあります。

メキシコ湾岸部で興ったオルメカ文明は、メソアメリカ最古の文明であり、その後のメソアメリカ諸文明の発展を大きく方向づけました。
人とジャガーの特徴を併せ持つとされる幼児の像は、オルメカ文明の宗教的概念を表しています。
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《オルメカ様式の石偶》オルメカ文明 前1000〜前400年 メキシコ国立人類学博物館蔵

メソアメリカ諸文明で崇拝されたジャガーなど動物の土器やトウモロコシの女神であるチコメコアトル神の火鉢(複製)などの展示。 トウモロコシの起源は、前7000年頃にさかのぼり、政治や宗教においても重要な意味をもちました。
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展示風景より

メソアメリカでは、農業にとって重要な雨季と乾季を予測するため、365日の太陽暦や260日の宗教暦など様々な暦が機能しており、月、金星、日食や月食の周期も把握していました。
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左から《夜空の石板》 アステカ文明 1325~1521年、《暦の文字》マヤ文明 647年頃 いずれもメキシコ国立人類学博物館蔵

オルメカ文明以前から現代に至るまで、ゴムボールを使った多様なゲームが専用の球技場で行なわれてきました。スポーツとしてだけでなく、人身供犠を伴う宗教儀礼や外交使節を迎える儀式など、球技には多くの意味合いがあります。
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展示風景より、躍動感のある球技をする人の土偶や球技用防具などの展示

古代メキシコの世界観では、あらゆる生命体は神々の働きと犠牲によって存在します。そのため、人間も世界の存続のために身を捧げる必要があると考えられていました。人身供犠は単なる非人道的な宗教儀礼ではなく、根源は利他精神に支えられていたのです。 しかしその手法は往々にして残虐であり、軍事的国家では敵の捕虜の生贄儀礼は政治的な覇権の誇示ともなりました。
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左から《シペ・トテック神の頭像》アステカ文明 1325~1521年 、テクパトル(儀礼用ナイフ)アステカ文明  1502~20年 いずれもテンプロ・マヨール博物館蔵

第2章 テオティワカン 神々の都
前100年頃、 メキシコ中央高原に興こり後550年頃まで栄えたテオティワカン文明。 約25k㎡の都市空間に、最大10万人ほどが住んでいたといいます。テオティワカンの中心地区には死者の大通りを中心に、ピラミッドや儀礼場、宮殿などの建造物が整然と並んでいました。

「太陽のピラミッド」は、高さ64mを誇るテオティワカンで最大の建造物です。 ピラミッド正面の広場から《死のディスク石彫》、 頂上からは《火の老神石彫》が出土しました。 こうした証拠から、このピラミッドは太陽や火などを象徴し、暦にかかわる儀礼が行なわれていたと考えられます。
《死のディスク石彫》は、中央に頭蓋骨、周囲に光を思わせる装飾が彫り込まれ、地平線に沈み「死んだ」 夜の太陽を表していると解釈されています。
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 《死のディスク石彫》テオティワカン文明 300〜550年 メキシコ国立人類学博物館蔵

頭の上に火鉢を載せた、火の老神の石彫。火や太陽に関わる儀式のために使用されたものと思われます。
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《火の老神石彫》テオティワカン文明 450~550年 テオティワカン考古学ゾーン蔵 

「月のピラミッド」はテオティワカンの南北中心軸 「死者の大通り」上にあり、その頂点はピラミッドの背後にそびえる聖なる山の頂上と重なるよう設計されました。 
水に関わる大規模な儀式空間と考えられ、 出土遺物等の研究から、水、豊穣、大地、 女性、雨季、そしておそらく月を象徴していたと考えられています。
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展示風景より、月のピラミッドから出土した遺物等

大儀式場の中心神殿「羽毛の蛇ピラミッド」の壁面を覆っていた大石彫。それぞれ金星と権力の象徴である 「羽毛の蛇神」 と、 時 (暦)の始まりを象徴する創造神「シパクトリ」をかたどった頭飾りを表すと考えられます。
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左《シパクトリ神の頭飾り石彫》テオティワカン文明 200~250年 
右《羽毛の蛇神石彫》テオティワカン文明 200~250年 
いずれもテオティワカン考古学ゾーン蔵 

2003年、 羽毛の蛇ピラミッド下に古代トンネルが発見されました。 最奥部にはおそらく王墓があったとみられ、トンネルの内部は盗掘されていましたが、 それでも多くの遺物が残されていました。
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展示風景より、羽毛の蛇ピラミッドの地下トンネルから出土した人物立像や楽器などの展示

テオティワカンの特徴である多彩色の壁画は、多くのアパートメント式住居施設、公共建築物などに描かれ、都市空間を彩っていました。ここでは嵐の神をモチーフにした壁画や、住居の屋根飾りなども見ることができます。 
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展示風景より、左から《嵐の神の壁画》テオティワカン文明 350〜550年 メキシコ国立人類学博物館蔵、《嵐の神の屋根飾り》テオティワカン文明 250〜550年 テオティワカン考古学ゾーン蔵 

華美な装飾、ユニークな造形が目を引く香炉。 矢や盾などのモチーフから、戦士の魂を鎮める儀礼に使われたものと推察されています。
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《香炉》 テオティワカン文明  350~ 550年 メキシコ国立人類学博物館蔵

テオティワカンは、最盛期にはメソアメリカのほぼ全域に影響力をもった国際都市で、各地から人や物が集まる、交易や市場経済活動も活発な都でした。メキシコ湾との交易を行う貝商人の墓地だったとされる場所から見つかった動物形土器や、移民地区から見つかった壺などは、テオティワカンが多民族が交錯する都市であったことを伝えてくれます。
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《鳥形土器》テオティワカン文明  250 ~550年 メキシコ国立人類学博物館蔵

第3章 マヤ 都市国家の興亡
マヤは、前1200年頃から後16世紀までメソアメリカ一帯で栄えた文明です。都市間の交流や戦争を通じて大きなネットワーク社会を形成し、ピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦などに特徴をもつ、力強い世界観を有する王朝文化を発展させました。

マヤの人々にとって、 人生や社会の出来事は、神々の行ないや天体、 山、 洞窟などの自然界の事象と深く結びついていました。
天体の動きを観察し、それに基づく精緻な暦を作り、 都市の広場や周辺に点在する聖なる場所で儀礼を行なうことは、世の中に秩序を与えるために必要と考えられていたのです。
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左から《金星周期と太陽暦を表わす石彫》マヤ文明  800 ~1000年 ユカタン地方人類学博物館 カントン宮殿蔵 、《トニナ石彫159》 マヤ文明 799年頃 トニナ遺跡博物館蔵

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展示風景より、星や夜空などを描いた土器の展示

人々の行ないは、神や先祖の事績を再現するものと考えられ、優れた文字体系を使って書かれた碑文には、王の業績などが正確な日付とともに記録されました。本作は、絵画的で美しく、そして謎に満ちたマヤ文字で、パカル王以来の歴代の王が即位したことが刻まれた石板。
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《96文字の石板》マヤ文明 783年 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵

人工の集中する大都市をつくったテオティワカンと異なり、マヤは熱帯低地の環境に合わせて都市、住居、農耕地が入り組んでおり、人々は様々な仕事に同時に従事しました。出土した土偶には、多様なマヤの人々を見ることができます。
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展示風景より、左から、貴婦人、戦士、捕虜かシャーマンの土偶 すべてメキシコ国立人類学博物館蔵

都市中心部に住む上流階級の人々も政治や外交活動だけでなく、儀礼の執り行ないや公共建築の計画など多様な仕事に従事しました。蛇の冠を被った人物が、壮麗な服を着て、円形の王座か椅子に座っているこの像は、その装いから王ないしそれに次ぐ高位の男性を表わした土偶と考えられます。
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《支配者層の土偶》マヤ文明 600~950年 メキシコ国立人類学博物館蔵

マヤ地域が政治的に統一されることはなく、交易や外交使節の往来などの友好的な交流、時には戦争による覇権争いを通じて、群雄割拠する都市国家が興亡を繰り返しました。
定期的な儀礼のほか、王の即位の際には他の都市の王や貴族が訪問し、美しい彩色土器などを交換したり、 貢物として食料を贈ったりしたようです。 
また限られた地域のみで得られる黒曜石を加工した祭祀具や、ヒスイを加工した首飾りが各地で見つかっており、この時代の交流範囲の広さを物語っています。
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外交儀礼が描かれた土器や道標など都市の交流を示す品の展示

カカオは、メキシコのチアパス州からグアテマラにかけての太平洋岸が重要な産地であり、飲料のほか通貨に使われるなど、重要な交易品でした。カカオの果実を首飾りとして着けた猿の神が描かれた土器も展示されています。
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展示風景より、左《猿の神とカカオの土器蓋》マヤ文明 600~950年 トニナ遺跡博物館蔵 

マヤでは各地で王朝が林立した結果、交易が行われると同時に戦争が起こることもありました。中央の《トニナ石彫171》(727年頃)は、カラクムルとトニナの王の球技の場面を描いた石彫で、両国の外交関係を示すものと考えられます。捕虜を描いた石彫も展示されています。
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展示風景より

パレンケは古典期マヤを代表する都市のひとつで、洗練された彫刻や建築と碑文の多さで知られます。その最盛期は615~683年のキニチ・ハナーブ・パカル王の治世です。 他国の侵攻を受け荒廃したパレンケの王位に12歳で就いたパカル王は、戦争と外交により周辺都市への影響力を取り戻しました。
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《パカル王とみられる男性頭像》  (複製)マヤ文明:原品620~683年頃 メキシコ国立人類学博物館蔵
 
この章で特に注目したいのは、メキシコ国内とアメリカ以外で初公開される「赤の女王(レイナ・ロハ)」にまつわる出土品。「赤の女王」は、パレンケの黄金時代を築いたパカル王の妃とされており、赤い辰砂に覆われて発見されたことからこの名で呼ばれています。
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展示風景より、「赤の女王」の埋葬の様子を再現した展示
マヤ王朝美術の傑作「赤の女王のマスク」は孔雀石の小片でつくられ、瞳には黒曜石、白目には白ヒスイ輝石岩が施されています。冠や首飾りといった装飾品などがあわせて展示され、左手の横には、 緑玉髄と黒曜石、貝片で作られた小さなマスクが置かれています。
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展示風景より、「赤の女王」の埋葬の様子を再現した展示

パカル王の息子と孫、ひ孫に関連する石板などの遺物もあわせて展示され、パカル王とその一族を中心とした都市パレンケの足跡をたどります。
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展示風景より、パカル王や子孫の業績を記した石板や柱の展示

マヤの儀式では香が盛んに焚かれました。展示されているパレンケの香炉台は、高さ53~81cmと大きく、神や人の顔が描かれ、華やかな装飾が施されています。当時の人はどのような香りを楽しんでいたのでしょうか。
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展示風景より、神や人の顔が描かれた香炉台の展示

10世紀頃にはチチェン・イツァが、 マヤ地域で最大の都市になりました。住民の大半はマヤ人でしたが、 トゥーラなどメキシコ中央部を含むメソアメリカ各地との交流を進め、 各地の文化要素を取り入れたとみられています。

腹の上に皿状になっており、神への捧げ物や時には生贄の心臓を置いたとされる石像。チチェン・イツァとトゥーラから多く見つかり、アステカにも受け継がれました。
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《チャクモール像》マヤ文明 900〜1100年 ユカタン地方人類学博物館 カントン宮殿蔵 

王座を支える人を表すアトランティス像。チチェン・ イツァでは宮廷人の姿をしたアトランティス像が多いのに対して、トゥーラ出土のこの像は防具を着けた戦士を表わしています。
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右《トゥーラのアトランティス像》トルテカ文明 900〜1100年 メキシコ国立人類学博物館蔵
 
第4章 アステカ テノチティトランの大神殿
古代メキシコ文明の最終章ともいえるアステカは、14世紀から16世紀にかけてメキシコ中央部に築かれた文明で、軍事力と貢納制度を背景に繁栄しました。中心部には太陽と雨の神を祀ったテンプロ・マヨールと呼ばれる大神殿があり、神官たちが儀礼を執り行っていました。

テンプロ・マヨールの北側、鷲の家で見つかった等身大とみられる戦士の像。戦闘や宗教に重要な役割を担った勇敢な軍人・鷲の戦士の像と考えられています。
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《鷲の戦士像》アステカ文明 1469年〜86年  テンプロ・マヨール博物館蔵

アステカでは様々な神を祀る神殿が造営されました。
雨神トラロクは太陽神と共に大神殿に祀られ、多くの祈りや供物、生贄が捧げられました。 本作はトラロク神の装飾がある水を貯える壺で、雨や豊穣の願いが込められたものと考えられます。
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展示風景より、《トラロク神の壺》アステカ文明  1440~69年 テンプロ・マヨール博物館蔵

死者の世界の王・ミクトランテクトリ神を表わした壺。火打ち石の斧やナイフを持ち、痩せこけた骨のみの姿で表されたこの神は、生贄の心臓を抜き出す神でありながら、一方で生を与える役割も併せもっています。
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《ミクトランテクトリ神の骨壺》アステカ文明 1469~81年 テンプロ・マヨール博物館蔵
会場では、近年テンプロ・マヨールで発見された金製のアクセサリーも展示されています。

1521年にアステカはスペインに征服され、その後、 マヤも 併合されることになります。 しかし、 古代から続く文化と伝統は滅びることなく現代にも息づいています。
古代メキシコの発掘調査はこれからも続きます。 新たな歴史の解明を期待しましょう。

第1会場と第2会場の間の特設ブースでは、展覧会オリジナルグッズが販売されています。メキシコ気分いっぱいの今しか購入できないグッズも多数!テオティワカンの羽毛の蛇神石彫をモチーフにしたペンケースの首飾りは、外せてアクセサリー(シュシュ)として使えます。様々な文明にインスパイアされたオリジナル柄のTシャツや、両手を挙げたユニークな姿のアトランティス像のショルダーバッグもあります。
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出品作品141件を網羅した、表紙が選べる展覧会公式図録も販売中です。
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壮大なモニュメント、神への祈りや人身供犠にまつわる品、当時の人々の姿をリアルに伝える土偶、精緻な技巧の装飾品など、最初から最後まで驚くような展示が続きますが、中には愛嬌のある造形の作品も。壮大なスケールの映像や、臨場感あふれる再現展示も素晴らしく、古代メキシコに迷い込んだような気分で鑑賞することができます。
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展示風景より

この機会を逃すと日本で見るのは難しいかもしれない至宝の数々を間近で見ることができるとても貴重な機会です。しかも今回、個人利用に限り会場内は全作品撮影OK(フラッシュや三脚・一脚、照明などを利用した撮影は禁止)。
多様な自然の中で生き抜いてきた人々の世界観、そしてそこから生み出された古代メキシコ文明の奥深い魅力をぜひ会場で体感してみてください。
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【開催概要】
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」
会場:東京国立博物館 平成館
会期:2023年6月16日(金)~9月3日(日) ※事前予約不要
開館時間:午前9時30分~午後5時(土曜は午後7時まで、6月30日~7月2日、7月7日~9日は午後8時まで)※入館は閉館の30分前まで。総合文化展は午後5時まで
休館日:月曜日、7月18日(火)※ただし、7月17日(月・祝)、8月14日(月)は開館
観覧料:一般2,200円、大学生1,400円、高校生1,000円
アクセス:JR上野駅公園口・鶯谷駅南口より徒歩10分
問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)へ
展覧会公式サイト https://mexico2023.exhibit.jp/
ツイッターアカウント @mexico2023_24
福岡会場:九州国立博物館
会期:2023年10月3日(火)~12月10日(日)
大阪会場:国立国際美術館
会期:2024年2月6日(火)~5月6日(月・祝)