大阪、東京、パリの3つの都市で活動し、躍動的な線描による風景画などで知られる夭折の画家、佐伯祐三(1898~1928)。その代表作が一堂に会する「佐伯祐三─自画像としての風景」展が、東京ステーションギャラリーで開催中です。

2度の渡仏を経て、30歳で夭折した佐伯祐三。本格的に画業に取り組んだのはわずか4年余りですが、裏町の風景に独自の審美眼を発揮し、数々の傑作を残しました。 本展では、日本最大級の質と量を誇る大阪中之島美術館の佐伯祐三コレクションを中心に、全国の美術館と個人所蔵の作品から選りすぐりの代表作が一堂に集結。展覧会初出品となる作品も出展されています。
佐伯が主に描いたのは、自身が生きる街を題材とした風景画です。本展では、大阪、東京、そしてパリという3つの街に着目し、佐伯が自らの表現を獲得する過程を紹介します。佐伯がそれぞれの街に見出したもの、表現しようとしたことを検証しながら、 佐伯芸術の変遷の過程をたどり、その魅力に迫ります。
本展はプロローグ、エピローグを含めた5章で構成。
プロローグ:自画像
佐伯は画学生時代を中心に、初期に多くの自画像を描いています。
どの自画像にも背景はなく、小道具も登場しません。さまざまなまなざし、表情の自分自身を客観的に捉え、描いています。

左:《自画像》1922年頃 東京国立近代美術館
右:東京美術学校卒業制作《自画像》1923年 東京藝術大学
1924年に初めてパリに渡った佐伯は、フランス人画家のヴラマンクを訪ね、 自信作を見せたところ、「このアカデミック!」と罵倒されてしまいます。 衝撃を受けた佐伯は、これ以降、 画風を一変させ、自らの表現を模索することになります。顔が削り取られた《立てる自画像》は、この時期の劇的な画風の転換を示す重要な作品です。

《立てる自画像》1924年 大阪中之島美術館

《立てる自画像》1924年 大阪中之島美術館
本作の後、 佐伯の画業はわずか4年ほどですが、この頃以外に自画像はほとんど描かれず、この後、主に街の風景を描くようになります。
第1章:大阪、東京
佐伯は生涯にわたって、自らが生きた街を題材としました。 第1章では大阪と東京で描かれた風景をとりあげ、まず美術学校時代の風景画を、 続けて一時帰国時代 (1926~27年) の作品を紹介します。
1926~27年にかけて一時帰国した佐伯が集中して描いたのが「下落合風景」と「滞船」です。雑然とした、人々の生活臭に満ちたこれらの風景を、佐伯は独自の視点で描いています。この2か所以外に日本でこれほど執着して描いた場所はなく、佐伯の心を強く動かした風景であったと考えられます。
佐伯が「日本の風景はぼくの絵にならない」とこぼしたと伝えられていることもあり、これまでの回顧展では、パリ時代の作品に比して没後も長い間評価の得られなかったこの時期の作品ですが、今世紀に入り再検証と再評価が進んでいます。
佐伯が描いたのは下落合の中でもごく限られたエリアで、市街地ではなく、土の道に日本家屋が並ぶ昔ながらの、あるいは開発されつつある場所であったことが、近年の調査でわかっています。第一次パリ時代の作品との共通性も見られ、 日本の風景をなんとか自己の作風で表現しようと模索したことがうかがえます。

右:《下落合風景》 1926年頃 個人蔵
左:《下落合風景 》1926年頃 和歌山県立近代美術館

第1章展示風景より、「下落合風景」の連作
一方、大阪で見出した題材は住宅地ではなく船でした。船は真横から、時には数隻が重なって描かれ、 画面の下部に船体を、上部に空に向かってまっすぐに伸びる帆柱を描いています。
ここでは、バリエーションに富んだ空や海、船の表現が楽しめます。
ここでは、バリエーションに富んだ空や海、船の表現が楽しめます。
「下落合風景」 と 「滞船」にはいずれも、上部の空間を埋めるように電信柱と電線、帆柱とロープが描かれていますが、このような中空へ伸び、 浮かぶ線は、第二次パリ時代の線描へとつながっていきます。
佐伯の人物画はそれほど多くはないのですが、 家族や友人などの身近な人々を描いた作品が残されています。 本展出品のスケッチはいずれも、 モデルゆかりの人々により遺されたもので、展覧会初出品となる作品もあります。会場では対象を見つめる佐伯のまなざしが感じ取れるような作品が並んでいます。

第1章展示風景より、親しい人々の肖像
絵を描くための身近な道具や、花瓶の花、食材などを題材にした静物画の展示もあります。

第1章展示風景より、静物を描いた作品
第2章:パリ
第2章「パリ」は、「自己の作風を模索して」「壁のパリ」と「文字と線のパリ」という3つのテーマで構成されています。佐伯のパリ時代は、1924年1月からの約2年と、1927年8月からの約1年の2回にわたります。 ただし最後の5か月弱は病の悪化により筆を持てなかったため、パリでの創作期間は合計してもわずか2年7か月しかありません。その凝縮された画業で生みだした作品の多くが、 パリの街を題材としています。 佐伯芸術を成立させたのはパリであった、といっても過言ではありません。

第2章展示風景より
この章では、まず渡仏してすぐにブラマンクの酷評を受け、自身の作風を見出そうともがいていた時代の作品を紹介。
佐伯はヴラマンクの色彩と視点に倣おうとし、不透明な色彩と荒々しい筆致の郊外風景を描くようになります。この時期の風景画は、建物が傾いて描かれるなど、佐伯の内面の葛藤が伝わってくるようです。

左:《村の教会堂》1925年 大阪中之島美術館(展示期間:1月21日~2月26日)
中央:《オーヴェールの教会》1924年 鳥取県立博物館
右:《セーヌ河の見える風景》 1924年 東京藝術大学

第2章展示風景より
この章では、まず渡仏してすぐにブラマンクの酷評を受け、自身の作風を見出そうともがいていた時代の作品を紹介。
佐伯はヴラマンクの色彩と視点に倣おうとし、不透明な色彩と荒々しい筆致の郊外風景を描くようになります。この時期の風景画は、建物が傾いて描かれるなど、佐伯の内面の葛藤が伝わってくるようです。
《オーヴェールの教会》はゴッホの最晩年の名作とほぼ同じアングル、構図で教会堂を描いたもので、ゴッホへのオマージュともいえる作品です。しかし表現方法は異なり、ゴッホへの共感を示しつつ、自らの造形を模索する姿を見ることができます。

左:《村の教会堂》1925年 大阪中之島美術館(展示期間:1月21日~2月26日)
中央:《オーヴェールの教会》1924年 鳥取県立博物館
右:《セーヌ河の見える風景》 1924年 東京藝術大学
佐伯はやがてモーリス・ユトリロに触発され、重厚な石壁の質感を厚塗りの絵具で表現する独自の作風に到達します。1925年6月美術学校時代の親友、 山田新一に宛てた手紙では「ユトリロがすっかり好きになってしまった」と伝えています。

第2章展示風景より
佐伯は次第に建物をクローズアップして真正面から描くようになります。 ここで佐伯が見出したのが「壁」です。通りに面して石の壁が連なる構図から、 建物を正面からとらえ、 一棟の建物、 時にはその壁のみで構成された画面へと変化していきます。

左: サロン・ドートンヌへの出品作 《コルドヌリ(靴屋)》1925年 石橋財団アーティゾン美術館
右:《コルドヌリ(靴屋)》1925年頃 茨城県近代美術館
佐伯は気に入ったモチーフは、繰り返し同じ構図で描いています。並んで展示された同じ構図で描かれた作品を見比べることができるのも、本展の見どころの一つといえるでしょう。
建物の石壁の質感を厚塗りで画面いっぱいに表現した《壁》はこの時代を象徴する作品です。画面のほとんどを建物の壁面が支配するという構図は、佐伯が新たな境地にたどり着いたことを伝えてくれます。

第2章展示風景より、《壁》1925年 大阪中之島美術館(左)など
しかし、サロン・ドートンヌに入選するなど創作活動に手ごたえを感じ始めたころ、健康状態について心配する家族の説得を受け、 佐伯のパリ滞在は一時中断。帰国の途についたのは1926年1月でした。
1927年8月、もう一度訪れたパリで、佐伯は制作を再開します。
広告の文字と画面を跳躍する線描を特徴とする、佐伯の代名詞ともいえる作風が展開されたのは、2度目の渡仏の1927年秋から初冬にかけてのことでした。
「線のパリ」では、繊細でリズミカルな線描によってパリの街角を描きだす佐伯芸術の到達点をみていきます。
広告の文字と画面を跳躍する線描を特徴とする、佐伯の代名詞ともいえる作風が展開されたのは、2度目の渡仏の1927年秋から初冬にかけてのことでした。
「線のパリ」では、繊細でリズミカルな線描によってパリの街角を描きだす佐伯芸術の到達点をみていきます。

第2章展示風景より
秋が深まる頃、リュクサンブール公園へとつながるマロニエの並木道を、ダイナミックな遠近法で描いた《リュクサンブール公園》。繊細な線で描かれた落葉樹の枝、黒く太くうねるような線で描かれた幹、奔放な筆触で描かれた梢が目を引きます。

左:《リュクサンブール公園》1927年 田辺市立美術館(脇村義太郎コレクション)
右:《新聞屋》1927年 朝日新聞東京本社梢と看板やポスターの線描が共演している作品もあります。

左:《カフェ・タバ》1927年 個人蔵(大阪中之島美術館寄託)
右:《ピコン》1927年 個人蔵
そして大きな関心を寄せていくのが壁に貼られたポスターです。
《ガス灯と広告》、《広告貼り》などの作品では、 ポスターの文字は判別不可能なリズミカルな線となり、画面いっぱいに躍動するように描かれます。
《ガス灯と広告》、《広告貼り》などの作品では、 ポスターの文字は判別不可能なリズミカルな線となり、画面いっぱいに躍動するように描かれます。

第2章展示風景より、《ガス灯と広告》1927年 東京国立近代美術館(左)など
佐伯芸術の代名詞とされる、画面を飛び跳ねる繊細な線。その特徴が最大に展開されたのがこの頃の作品です。

第2章展示風景より、《広告貼り》1927年 石橋財団アーティゾン美術館(右)など
第一次パリ時代にも《門の広告》と同様の対象をほぼ同じ構図で描いており、その作品も展示されていますが、本作では灰褐色の色調の中に、ポスターの赤や緑、黄色の鮮やかな色彩が点在し、比べると第二次パリ時代の線による描写の特徴がよくわかります。
自宅近くのカフェレストランをモチーフとした連作では、人物はほぼ描かれず、踊っているように見えるリズムと勢いのある線が、広告だけでなくテーブルや椅子など画面中に溢れており、ポスターの色彩や文字そのものに関心が向かっていることがわかります。
右:《テラスの広告》1927年 石橋財団アーティゾン美術館
1928年に入ると、佐伯は再び黒い線を用いて奥行きのある街並みを描くようになります。 新たなモチーフを求めて2月にモランへ 発つ前には、パリで工場を題材とする3点をわずか2日で仕上げています。

第2章展示風景より、《サン・タンヌ教会》1928年 三重県立美術館(右)など
第3章:ヴィリエ=シュル=モラン
第3章では、亡くなる約半年前にパリ郊外の村・ヴィリエ=シュル=モランに滞在したときの珠玉の作品群を紹介します。
素朴な田舎のたたずまいのモランで、特に集中的に取り組んだのは村の中心にある教会でした。佐伯は、白い石壁の教会を角度や距離を変え、繰り返し描いています。
滞在の最後の方に制作された明快な構図と美しい色彩の 《煉瓦焼》は、モランの村はずれにある煉瓦焼の窯を、黒い線の力強い表現で描いたもの。建物の重厚な量感が新しい展開の芽を感じさせます。佐伯の真価を見出したコレクターの山本發次郎が、最初に魅了されたのは本作であったといわれています。

右:《煉瓦焼》1928年 大阪中之島美術館
中央:《モラン風景》1928年 大阪中之島美術館
モランの厳しい寒さの中での制作は佐伯の体力を奪い、最後のまとまった制作となりました。20日ほどの滞在で生み出された 30数点の作品は、まさに命を削りながら創り上げた作品群といえます。
中央:《モラン風景》1928年 大阪中之島美術館
モランの厳しい寒さの中での制作は佐伯の体力を奪い、最後のまとまった制作となりました。20日ほどの滞在で生み出された 30数点の作品は、まさに命を削りながら創り上げた作品群といえます。
東京ステーションギャラリーの冨田章館長は、この時代の作品について「現場で見たままのものを、その場で画面に写し取るなど、佐伯は早描きをスタイルとして取り入れたと思う。モランの時代の作品にも、まるで書道を思わせるような素早い筆致を見ることができ、これが絵そのものの躍動感につながっている」と語ります。
エピローグ 人物と扉
最後の「エピローグ」は、佐伯の絶筆に近いといわれている作品を展示。
モランからパリに戻った後の1928年3月、風邪をこじらせた佐伯は床につくようになりますが、体調の良い時期に郵便配達夫やロシアの亡命貴族の娘などをモデルとした人物画を描いています。

展示風景より、《ロシアの少女》1928年 大阪中之島美術館(左)ほか
この時期、わずかに体力が回復した時に戸外へ出て描かれた、 2つの扉の絵が残されています。 扉だけがクローズアップされた大胆な構図の本作は、佐伯が「満足のいく絵なので売らないでほしい」と周囲に依頼した伝えられています。
この時代の作品の詳細な制作順は不明であり、どの作品が絶筆かは判断できないそうですが、重く閉ざされた扉に正面から挑んだこれらの絵は絶筆に近いもので、ある意味佐伯の到達点といえるかもしれません。
この時代の作品の詳細な制作順は不明であり、どの作品が絶筆かは判断できないそうですが、重く閉ざされた扉に正面から挑んだこれらの絵は絶筆に近いもので、ある意味佐伯の到達点といえるかもしれません。
右:《扉Door》 1928年 田辺市立美術館(脇村義太郎コレクション)
本展担当学芸員である大阪中之島美術館の高柳有紀子さんは、プレス内覧会において「佐伯の没後、その絵に魅入られ一大コレクションを築いたのが、実業家の山本發次郎氏です。このコレクションが大阪市に寄贈されたことが美術館設立の契機のひとつとなっています。現在、当館は佐伯祐三の絵画約60点を所蔵しており、これは日本最大級の質と量を誇るコレクションです。東京の中心にある東京ステーションギャラリーで当館の所蔵作品を多くの人に見てもらえることを嬉しく思います」と語っています。
東京ステーションギャラリーの冨田章館長は次のように語ります。「今回は洋画界のスーパースターといえる佐伯の待望の展覧会で、東京では18年ぶりの本格的な回顧展となる。東京ステーションギャラリーは、佐伯と同時代の1914年に創建された東京駅丸の内駅舎内にあり、当時の構造レンガがそのまま展示室の空間に生かされている。このレンガの壁と佐伯の作品のマッチングをぜひ見てほしい」。

本展の公式図録も販売中。2本の論考に加え、章解説、コラム、作品解説、年譜、記録写真、資料採録などで佐伯芸術を詳しく紹介。原画では見落としてしまうような場所をクローズアップした拡大画像が、自由で勢いのある佐伯独特の筆致を堪能させてくれます。

「佐伯祐三 自画像としての風景」2023年/読売新聞大阪本社発行/A4判変形/232頁 2,800円(税込)
ミュージアムショップでは、ほかにも来館の記念になる出品作品をあしらった本展オリジナルグッズが多数用意されています。

「佐伯祐三 自画像としての風景」2023年/読売新聞大阪本社発行/A4判変形/232頁 2,800円(税込)
ミュージアムショップでは、ほかにも来館の記念になる出品作品をあしらった本展オリジナルグッズが多数用意されています。
わずか4年あまりの本格的な画業のなかで、独自の様式を確立した佐伯。2023年に生誕125年を迎える彼が生み出した作品群は、今なお強い輝きを放っています。
パリの街を彷彿とさせる東京ステーションギャラリーの重厚な空間で、佐伯が描いた都市のさまざまな風景を鑑賞できるのも本展の大きな見どころといえるでしょう。
会期は4月2日(日)までとなっています(会期中に一部展示替えあり)。ぜひお見逃しなく。【展覧会概要】
企画展「佐伯祐三 自画像としての風景」
会期:2023年1月21日(土)~4月2日(日) ※会期中に一部展示替えあり
会場:東京ステーションギャラリー
住所:東京都千代田区丸の内1-9-1(JR東京駅 丸の内北口 改札前)
開館時間:10:00~18:00(金曜日は20:00まで)
※入館はいずれも閉館30分前まで
休館日:月曜日(3月27日(月)は開館)
観覧料:一般 1,400円、高校・大学生 1,200円、中学生以下 無料
※障がい者手帳などの持参者は100円引き(介添者1名は無料)
※最新情報やチケット購入方法については美術館ウェブサイトにて確認のこと
東京ステーションギャラリーウェブサイト:https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202211_saeki.html
展覧会公式ホームページ: https://saeki2023.jp/
■巡回情報
・大阪中之島美術館
会期:2023年4月15日(土)~6月25日(日)
住所:大阪府大阪市北区中之島4-3-1