展覧会「ヴァロットン─黒と白」が、東京・丸の内の三菱一号館美術館にて、2023年1月29日(日)まで開催中です。

19世紀末パリで活躍したナビ派の画家フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)は、黒一色で刷られた木版画を手がけて高い名声を獲得しました。ブラック・ユーモアに溢れる独自の視点と多様な表現、白と黒のコントラストを巧みに操るヴァロットンの作品は、今でも私たちを魅了してやみません。
三菱一号館美術館は、世界有数のヴァロットン版画コレクションを誇ります。本展はヴァロットンが木版画に着手する少し前の作品から、円熟期、そして木版画から離れるまでを時系列で追った5章と、同時期の画家・トゥールーズ=ロートレック(1864〜1901)の作品と比較する特別関連展示で構成。
画家の集大成とも言える《アンティミテ》など、稀少な揃い物を含めた約180点のコレクションを一挙公開し、黒と白で作り出されたァロットンの版画芸術の魅力に迫ります。

展覧会の構成に沿って、主な展示作品を紹介します。
第1章 「外国人ナビ」ヴァロットン―木版画制作のはじまり
第1章 「外国人ナビ」ヴァロットン―木版画制作のはじまり
第1章では、ヴァロットンによる初期の木版画作品に着目。それまで自身の生活を支えるために名画の複製や挿絵を描いてきたヴァロットンは、1891年から木版画制作に着手。初期の木版画は、ドライポイントやエッチン グによる、身近な人々の肖像や過去の巨匠の模写でした。

第1章展示風景より、ヴァロットン初期の木版画
当時のヨーロッパにおけるジャポニスムの隆盛の中で、絵画における装飾性が再認識され、木版画の特質が改めて見直されるようになります。1890年にパリの国立美術学校で行われた「日本の版画(浮世絵版画)展」や『藝術の日本』誌も、ヴァロットンが木版画制作を始めたきっかけといわれています。《ブライトホルン》など、スイスの山岳風景を描いた木版画シリーズは、ヴァロットンが木版画家としての活動を本格化させた1892年に制作されたもの。葛飾北斎に代表される富士山のイメージに影響を受けた可能性もあります。


第1章展示風景より、《『藝術の日本』誌》、《パリ国立美術学校での『日本の版画(浮世絵版画)展目録』》
第2章 パリの観察者
19世紀末の華やかなパリの空気に触れたヴァロットンは、 街路や公園をそぞろ歩き、カフェや百貨店にも足を踏み入れて、 同時代の流行にも敏感に反応し、街で起こる様々な出来事に関心を寄せていたことがわかります。なかでも関心を引いたのが「群衆」や社会の暗部が露呈する事件でした。ヴァロットンはそれらを皮肉とユーモアを込めて描きました。

左から:《 にわか雨(息づく街パリ VII)》 1894年 、《事故(息づく街パリ VI)》 1893年
右は交通事故を描いた作品。画面左側には傍観者として事故を見つめる女性と子どもが描かれています。こうした傍観者にも注目して作品を見ていくと、新たな発見があったりします。
ヴァロットンは、斬新な視点とフレーミング、モチーフの単純化、人物の大胆な表現など、木版画に独自の境地を切り開きます。初期の木版画が「線的」な表現を主としていたのに対し、次第に対象を黒い塊として捉える傾向が高まっていきました。

《街頭デモ》 1893年 デモ行進ではなく、警官が到着し慌てて逃げる群衆を描いています。左側のベビーカーを押す乳母らしい女性も一緒に逃げているように見えます。

第2章展示風景より、《〈息づく街パリ〉口絵》など
雑誌挿絵は通常1ページしか見ることができませんが、今回会場の壁に投影されるスライドショーで『罪と罰』全作品を見ることができます。

第2章展示風景より、《公園、夕暮れ》 1895年など
版画下部に書かれたセリフの翻訳も併せて紹介。『罪と罰』はけっこうどぎついセリフが多く、翻訳に苦労したということです。
また、ヴァロットンは自殺や暗殺、埋葬など、死をテーマにした作品も制作しています。初期の線的な表現から、対象を黒い塊として捉える面的な表現へと作風も変化し、版画の重々しい黒の色が闇が、 死にまつわる場面の陰鬱さを効果的に演出しています。
子どもを主役にして描いた作品もあります。《可愛い天使たち》は、中央に警官に連行される男がいて、好奇心から子どもが群がる様子が描かれています。こちらに向かって笑っている子どももいますが、可愛いというより、むしろ怖いかも。子供が持つ無垢ゆえの残酷さがよく表現された作品だといえそうです。
パリの高級百貨店や婦人帽子店などで、華やかな装身具、最先端のファッションに身を包んだ女性を描いた作品もあります。右の《女の子たち》では、格子柄やドット柄、市松模様といったさまざまな意匠を見ることができます。
第3章 ナビ派と同時代パリの芸術活動
本章では、ヴァロットンと同時期に活躍した画家たちと比較しながら作品を鑑賞することができます。1893年にパリの若い前衛芸術家集団「ナビ派」の仲間入りを果たしたヴァロットンは、ナビ派の画家たちが多く参加した版画集『レスタンプ・オリジナル』に参加するなど、挿絵の仕事をするとともに、パリの芸術的・文化的な前衛エリートたちの世界にも交わるようになります。

第3章展示風景より、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《『レスタンプ・オリジナル』第1次のための表紙》1893年などナビ派の画家による版画作品

第3章展示風景より、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《『レスタンプ・オリジナル』第1次のための表紙》1893年などナビ派の画家による版画作品
この時期のヴァロットンの作品はナビ派との共通点が見られ、アール・ヌーヴォーに近似した曲線的な装飾の作品も見ることができます。
しかしボナール、ヴュイヤール、ルーセル、ドニらが主に多色刷りのリトグラフ(石版画)を手掛けたのに対して、ヴァロットンは黒一色の木版画にこだわり続けます。
芸術家や著名人の肖像シリーズでは、モノクロームの色彩によって人物の特徴や内面性までも浮き彫りにしています。

第3章展示風景より、《シューマンに捧ぐ》1893年などヴァロットンによる木版肖像画
芸術家や著名人の肖像シリーズでは、モノクロームの色彩によって人物の特徴や内面性までも浮き彫りにしています。

第3章展示風景より、《シューマンに捧ぐ》1893年などヴァロットンによる木版肖像画
第4章 アンティミテ:親密さと裏側の世界
ヴァロットンは、1894年頃から油彩でも室内画を多く描きますが、1898年に限定30部で刊行された連作《アンティミテ》は、ヴァロットン版画の真骨頂を示す作品です。
手前の《嘘(アンティミテ Ⅰ)》は、背景のストライプと女性の身体の曲線が見事に対比されており、ヴァロットンの高いデザインセンスがうかがえます。
まるでドラマの一場面を切り取ったかのような構図で、黒と白のコントラストで巧みに描き出される男女の姿は、一見親密そうな雰囲気ですが、画面には不穏で謎めいた空気が流れ、意味深長なタイトルが男女の関係性を暗示し、さまざまな想像ができそうです。

《勝利(アンティミテ Ⅱ)》 1898年 

《お金(アンティミテ Ⅴ)》 1898年

《訪問の支度(アンティミテ VIII)》 1898年
室内情景において対象は極限まで単純化され、黒地にわずかな白で暗示的に描かれる装飾的な調度品や乱雑に置かれた衣服などがアクセントとなっています。
こうした連作の揃いは大変希少性が高く、右下にヴァロットンのサインが、左下には刷り数が限定であることの証としてシリアルナンバーが記されています。限定部数の作品の希少性を高めるため、《アンティミテ》の版木は処分されましたが、この証明として、各作品の部分を寄せ集めて一枚の作品に仕上げたのが本作です。単なる証明とは思えないデザイン性が光る作品に仕上がっています。
《〈アンティミテ〉板木破棄証明のための刷り》1898年
6点の木版画からなる 《楽器》もヴァロットンの 代表的な連作の一つで、ヴァロットンが得意とする室内空間を舞台に、フルート、チェロ、ヴァイオ リン、ピアノ、ギター、コルネットという6種類の楽器とその奏者を描いています。100部程度の限定部数で刊行され、 希少性を維持するために、版木は破棄されました。

第4章展示風景より、代表作の一つ《楽器》の連作
第5章 空想と現実のはざま
ヴァロットンは一旦木版画から離れますが、時折、雑誌挿絵や愛書家たちのために、 また自身の評価の確立のため に版画に取り組むこともありました。 1900年、ニューヨークの『ザ・センチュリー・イラストレイテッド・マンスリーマガジン』誌のために制作された連作《万国博覧会》は、 ヴァロットンの評価が海を越えて轟いていたことを示しています。 1900年に開催されたパリの万国博覧会は、世界各地から多くの来場者が訪れましたが、ヴァロットンは万博の展示内容そのものよりも、そこに集う人々の人間観察に興味を寄せています。

第5章展示風景より、《万国博覧会》の連作
ヴァロットンは作家ジュール・ルナールの書物に多くの挿絵を提供しました。 簡素な文体の中に鋭い観察力が光るルナールの文章とユーモラスなヴァロットンの挿絵の組み合わせは好評でした。

第5章展示風景より、ヴァロットン挿絵によるジュール・ルナールの書物
1914年の第一次世界大戦の勃発は、 再びヴァロットンを木版画制作へと駆り立てます。
1917年には従軍画家として前線に赴き、執筆活動も活発に行いました。当時発表された最後のシリーズ《これが戦争だ!》(1915〜1916)では、塹壕の兵士たちや敵軍の蛮行、一般市民への攻撃といった題材が悲劇的に描かれています。

第5章展示風景より、《これが戦争だ!》の連作
また、このシリーズが収められたポートフォリオもヴァロットンのデザインによるもの。黒字のタイトルと赤いインクで表現された血しぶきという極限まで削ぎ落とされたデザインが、戦争の悲劇を物語ります。

《〈これが戦争だ!〉ポートフォリオ 》1916年
特別関連展示「ヴァロットンとロートレック 女性たちへの眼差し」
ここでは、2022年に開館100周年を迎えるアルビのロートレック美術館の特別協力により、ヴァロットンとロートレックという二人の画家を比較して展示します。

ここでは、2022年に開館100周年を迎えるアルビのロートレック美術館の特別協力により、ヴァロットンとロートレックという二人の画家を比較して展示します。

特別関連展示「ヴァロットンとロートレック 女性たちへの眼差し」展示風景より
ヴァロットンとロートレック、同じ時代を生きた2人の画家は、 同じ雑誌で活動し、共通の友人もいて、同じテーマで絵を描いています。一方は多色刷りリトグラフ、 他方は木版という用いた技法の違いはあるものの、ともにその斬新な構図やデザインで19世紀末の版画復興に重要な役割を果たしました。社会の周縁で生きる女性たちに視線を向けた点でも共通しています。
しかし、 ロートレックは時に彼女たちの姿に自分自身を投影し、共感の眼差しを向けているかのように見える一方で、ヴァロットンが女性たちから距離を置いて冷ややかに描いているようにも見えます。
ヴァロットンとロートレック、同じ時代を生きた2人の画家は、 同じ雑誌で活動し、共通の友人もいて、同じテーマで絵を描いています。一方は多色刷りリトグラフ、 他方は木版という用いた技法の違いはあるものの、ともにその斬新な構図やデザインで19世紀末の版画復興に重要な役割を果たしました。社会の周縁で生きる女性たちに視線を向けた点でも共通しています。
しかし、 ロートレックは時に彼女たちの姿に自分自身を投影し、共感の眼差しを向けているかのように見える一方で、ヴァロットンが女性たちから距離を置いて冷ややかに描いているようにも見えます。
木版画作品のほかにも、ヴァロットンの作品に登場する猫などをモティーフにしたアニメーション作品も、会場のあちこちで見ることができるので、チェックしてみてください。
ミュージアムショップには、黒と白のトートバッグ、Tシャツ、マグカップなど、洗練されたアイテムが並んでいます。

ヴァロットンの人生を木版画をとおして展覧できる貴重な機会です。版画は劣化するため、長期間の展示が難しく、今後このような展覧会が開催できるかどうかは不明ということです。
黒と白のヴァロットンの世界が堪能できる本展は、三菱一号館美術館にて2023年1月29日まで開催されています。
黒と白のヴァロットンの世界が堪能できる本展は、三菱一号館美術館にて2023年1月29日まで開催されています。
【展覧会概要】
展覧会「ヴァロットン─黒と白」
会期:2022年10月29日(土)〜2023年1月29日(日)
会場:三菱一号館美術館
住所:東京都千代田区丸の内2-6-2
開館時間:10:00〜18:00(祝日を除く金曜と会期最終週平日、第2水曜日は21:00まで)
※入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日(トークフリーデー(11月28日(月)、12月26日(月))、1月2日(月・振替休日)・9日(月・祝)・23日(月)は開館)、12月31日(土)、1月1日(日・祝)
観覧料:一般 1,900円、高校・大学生 1,000円、小・中学生 無料
※障がい者手帳の所持者は半額、付添者1名まで無料
※会期や開館時間などは変更となる場合あり(最新情報については美術館公式サイトなどを確認)