世田谷の観音寺へ行って来ました。
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世田谷観音寺は、事業家の大田睦賢氏が私財を投じて昭和26年(1951年)に創建し,住職となった天台宗のお寺です。境内には色々なところから移された貴重な歴史的文化財がいっぱいあるのです
まず一対の狛犬が出迎えてくれます。鉄製南蛮渡来の狛犬像は、清国四代康煕皇帝に辛未年(1691年)に進献されたものと説明書きが。仁王門には仁王像(金剛力士像)が立っていますが、この像は平安時代後期(12世紀)の造作とされる金剛力士像。元々は新潟新津の寺に祀られていたそうです。

今回のお目当ては八大童子像。
奈良県天理市にかつて内山永久寺という大寺院がありました。12世紀前半に鳥羽天皇の勅願寺として建てられ、大和の寺院では東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ地位であったとか、江戸時代には「西の日光」ともよばれたといった逸話が残りますが、近代初頭の廃仏毀釈によって寺は廃絶し、。破壊を免れた什宝も散り散りとなり、外国へ流出したものもあります。ボストン美術館展でこの寺のことを知り、興味を持ちました。

内山永久寺旧蔵の仏像のうち、仏師康円作のものが2組あります。ひとつは四天王の眷属(けんぞく)像4躯で、東京国立博物館、静嘉堂文庫美術館、MOA美術館に分蔵されている高さ32センチくらいの小像で、四天王の眷属というのは経典にはみられるものの、彫刻作品としては唯一という珍しいものです。
あとひとつはここ世田谷山観音寺。祀られている不動明王・八大童子像は、奈良・石上神宮の神宮寺・内山永久寺に伝えられた仏像です。内山永久寺では、多くの仏像が破壊されたり散逸したりしましたが、この仏様もその一つです。

この像が、世田谷観音寺に祀られるまでの来歴をたどると、

内山村庄屋・中山平八郎→藤田伝三郎→久原房之介→中野忠太郎→大田睦賢とされてるようです。

明治以来、所蔵者が転々とし、やっと今の世田谷観音寺に安住の地を得たのでしょうか。

さて、目指す不動・八大童子像は六角形の不動堂にまつられていて、毎月28日14時より開扉されます。
2月28日、14時過ぎにお寺に着きましたが、まず観音堂(本堂)での読経があり、続いて不動堂の開扉、護摩法要と続きます。熱心な信者の方が集まっていらして、その中に混ぜていただきました。

不動堂では護摩が焚かれ、30分近く続きます。護摩を焚く炎は儀式が進むとともに高くなったり、小さくなったりしますが、不動像の光背の火炎と同じくらい大きく燃え上がり、 炎の後ろに浮かぶ仏像はすごい迫力でした。

儀式の終了後、仏像は自由に拝観できます。しばらくすると再び厨子の扉は閉じられてしまうのですが、この日は参拝者が多く、15時すぎまで開いていました。住職様の解説で、貴重な仏像を眼近に拝することができました。

境内の他の文化財についても触れたいと思います。
鐘楼は石薬師寺から。梵鐘は奈良の極楽寺からのもので慶長10年の銘があり世田谷区内で最古のもの。

境内の一部に旧小田原藩(大久保家)の代官屋敷の一部、門と母屋が移築されています。

阿弥陀堂の堂宇は京都二条城から移築されたもの。三層からなる建物は金閣寺を模したと言われます。阿弥陀堂に入り参拝。ご本尊の阿弥陀如来像はまだ新しい。両側には観世音菩薩、地蔵菩薩の脇侍像。左奥に左甚五郎の作とされる鬼念仏がいます。韋駄天神、東方朔も安置されています。最も注目されるのが8躰の羅漢坐像。
目黒羅漢寺にあった五百羅漢のうちの八体が安置されています。
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本堂である観音堂。ご本尊の聖観世音菩薩像に参拝。脇侍には日光菩薩、月光菩薩、布袋尊、マリア観音が安置されています。本尊はかって、伊勢長島の名刹興昭寺(すでに廃寺)の秘仏でしたが、浅草寺にて開眼法要を営み、現在は観音寺の本尊として祀られているそうです。天正年間(16世紀)に造立されたとありました。立派な竜神は福井城にあったモノのレプリカですが、本物はロックフェラーが購入して現在ボストン美術館に展示中だとか。レプリカでもすごい迫力です!刀印を結んだ姿です。
脇侍の日光・月光菩薩像は南北朝時代(14世紀)の作とありました。
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東京でこれだけ素晴らしい仏像が見られるお寺は他にはないのではないでしょうか。
境内は梅がきれいで、また季節を変えて訪れたいと思いました。

世田谷観音寺公式ホームページ